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喪失した日本文化のお化けたち

 『高野聖・眉かくしの霊 』泉鏡花(岩波文庫 緑27-1)

越前敦賀の旅の宿、道連れの僧が語りだしたのは、若き日、飛騨山中の孤屋で遭遇した艶めかしくも奇怪な出来事であった。鏡花畢生の名作「高野聖」に、円熟の筆が冴える「眉かくしの霊」を併収した怪異譚二篇。本文の文字を大きく読みやすくし、新たな解説を加えた。解説=吉田精一/多田蔵人

鏡花の幻想譚は、その美文調に惑わされるが近代化の汽車とか出てくるのだ。時代は明治だから近代化がそれまでの日本文化を破壊した怨念のような霊たちの物語だろうか。喪失した自然を都会から山奥へ旅することで失われた日本の文化へと尋ねいくスタイルが多い。。それは柳田国男がいう山の神であったり湖の女神だったりするのだろう。

高野山の僧侶が怪奇な事件を旅人に語る『高野聖』は、僧が木の根を潜って冥界(山の世界)へと尋ねる。それは『古事記』の冥界廻りを連想させる。冥界は蛇と蛭(海鼠大の蛭が僧侶を襲うのだ)の山道なのだが、蛭の山というのがホラーだった。

血みどろになりながら、その山を抜け出して奇妙な宿に泊まるのだが、そこの女将がまた悩ましいのは常人(最初はお嬢様だと思っていた)ではないからで、蛭に吸われた僧侶の背中を流すシーンはエロスとタナトスを含んでいる。

背中を流す描写なのだが、ソープオペラだった。こういう描写が鏡花のエロスなのか?さらにその女には白痴の子供がいる(解説では親子ではなく姉弟のように説明していたが)ので不憫な生活をしてそれに同情的になるのだが、そこにエロス的な部分もあるので僧侶の欲望を試す悪霊とも言えるのかもしれない。それは仏教以前の日本の霊的な存在(山の神とか)なのだろう。

むしろ『眉隠しの霊』の方がエロスとタナトスが明確化されて面白かったような。こちらは湖の女神だろうけど。その桔梗が池の美しさは、亡くなった女の血(桔梗の女神だから血が青い?)が湖を青くしたのだが本人は白鷺になってしまうのだ(桔梗が白鷺になっていくのか?)。鏡花の文体の曖昧さが幻想を呼び覚ますのである。山姥のような婆さんいて、不倫した嫁が猟師に撃たれる悲劇なのだが、嫁の美しさが白鷺の生まれ変わりとか、聞き手が池の鯉や鮒に投影して白鷺に食べられてしまう幻想とか(ここもよくわからないけど見事な描写なのだ)、いろいろな幻想譚の組み合わせからなる話で一つの方向にまとまるのではない。様々な民話や古典文学がその中に組み込まれているのだった。解説だと木曽義仲と巴御前の悲劇も織り込んでいるとか。その始まりが弥次喜多の口語体からめくるめく幻想世界へ旅人を誘うのである。それは喪失した日本の文化なのだろう。


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