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沖縄問題は日本問題だということ

『沖繩ノート 』大江健三郎(岩波新書)

米軍の核兵器をふくむ前進基地として,朝鮮戦争からベトナム戦争にいたる持続した戦争の現場に,日本および日本人から放置されつづけてきた沖縄.そこで人びとが進めてきた苦渋にみちたたたかい.沖縄をくり返し訪れることによって,著者は,本土とは何か,日本人とは何かを見つめ,われわれにとっての戦後民主主義を根本的に問いなおす。
目次
プロローグ 死者の怒りを共有することによって悼む
Ⅰ 日本が沖縄に属する
Ⅱ 『八重山民謡誌』'69
Ⅲ 多様性にむかって
Ⅳ 内なる琉球処分
Ⅴ 苦が世
Ⅵ 異議申立てを受けつつ
Ⅶ 戦後世代の持続
Ⅷ 日本の民衆意識
Ⅸ 「本土」は実在しない

出版社情報

Ⅰ 日本が沖縄に属する

大江健三郎の沖縄からの影響は、『同時代ゲーム』では権力に対する一揆は、四国内の森の話だったのだが『同時代ゲーム』のリライトとされる『M/Tと森のフシギの物語』では一揆勢は海賊となって沖縄から海の道を伝わってやってくることになる。それが

それは「晩年の仕事」である『水死』で父が読む折口信夫『死者の書』で父親が「淼淼(びょうびょう)」を「森森(しんしん)」と間違って読む、それは柳田國男・折口信夫の民俗学が「海の道」の重要性を述べてたことによる。その変化が生じたのは、この『沖縄ノート』で書かれた時期による大江健三郎の日本と沖縄に対する視線の変化にあったのではないか?

そして重要なことだがアメリカの占領政策が日本を中心に置いているというより沖縄を中心に対アジア戦略の重要な基地として考えれていることを知るのである。それは米軍のエリート官僚が描く地図は沖縄の方が大きく日本はその属国のように描かれたということだ。 それが「日本が沖縄に属する」という沖縄の復帰前の米軍の占領地としての「沖縄」だったわけである。この手記が書かれた時代がそういう時代なので、日本に復帰後の沖縄人の感情とは違うだろうということは、そういうことだった。それでも日本人が放置してきた基地問題は今も沖縄の問題なのだ(この言い方のおかしさに気づけば大江健三郎の屈折した沖縄についてがわかるだろうか?それは日本の問題なのだ。しかし誰もがそれを沖縄問題として捉えるときに、日本が沖縄に属する米軍の対アジア戦略なのである)」そうした背景にある日本人の差別感情について、例えば長崎で被爆した沖縄人には被害保証がすぐにはなされなかった(アメリカの占領地だったから、沖縄には原爆被害者はいないことになっていた)。そうした戦時の負い目を沖縄に背負わせて反映してきた歴史があるのだ(朝鮮戦争やベトナム戦争では沖縄は米軍の重要な基地だった)。そういう歴史性を知らないと今読む沖縄のイメージから程遠いと感じるかもしれないが、そういう沖縄の歴史があったのだ。そういうところで書かれた『沖縄ノート』なのである。

大江健三郎の難解とも言える文体も日本語でありながら日本語で表記できない沖縄や米軍の問題、それは戦後民主主義の根幹でもあったのだが隠蔽された条項でもあったのだ。そのもっともなものが沖縄に配備されている核兵器問題だろう。佐藤栄作はそういう密約を結びながら非核宣言でノーベル平和賞を受賞したのである。同じノーベル賞受賞者としては頭の痛い問題だわな。その日本の作家が米軍の占領地(その歴史も忘却してしまっている)に行ったのである。まだノーベル賞は受賞してない1968年のことだが(沖縄の日本復帰は1972年なのである)。





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