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恋恋の変な気分や猫の恋

「猫の恋」は今頃か。初春というから、すでに晩春だものな。旧暦だと思えばいいのか?このへんの季語のずれは、俳句を作るときは困ってしまうのだ。俳句は座の文芸で、季語は挨拶と思えば納得いくのだが。

猫の恋野獣の恋や恋恋しい 宿仮

以前猫を飼っていたときはさかりがついてやたら外に出たがるので困ったものだが、母と住むことになり母は去勢手術をしたらそういうこともなくなった。さかりの時期は野獣だよな。でも恋ばかり見つめていると変になりそうな漢字だな。

恋恋しい変な気分や猫の恋 宿仮

昨日は引きこもり。雨で寒すぎた。寒さはやはり影響するな。家人間だから読書。『1984』は読んで、感想を書いた。もう少し書きたかったことがあったのだが、まとまらなかった。SF小説としては、それほど評価は出来ないのだが、ディストピアという言葉はこの小説のためにあるような小説だから、論じるのが難しい。ある意味現代思想の本だよな。論文みたいな固さがあるのだ。まあ、その不完全さがのちの文学への影響力があったのかもしれない。なんか言いたくなる小説というか?

梯久美子『この父ありて 娘たちの歳月』。この本は面白かった。女性作家の内面にいる父という感じだろうか?その父は良き父ばかりではなく迷惑な父もいたが、それによって作家として自立していくみたいな。辺見じゅんが角川の創業者角川源義の娘だとは知らなかった。また角川源義が折口信夫の弟子だったということも始めて知った。それで最初に短歌雑誌を立ち上げて、もともとは俳句の人だったので俳句雑誌を作ったのか。このへんのところも興味深い。あとで感想を書く。

シン・俳句レッスンでその『角川 俳句』を読んでいるのだがなんでこんなに保守的なのかと思うぐらいに高齢化が進んでいる。若手がいないんだよな。俳句は老人文学か?そうとも言えるのかもしれない。ただ以前はそうじゃなかったのは俳句史を見ていくといろいろなことがあったのだとわかる。伝統俳句だけじゃなく、それに疑問を持った者も多いのだ。最近はそうした批評が少ないのだと思う。あっても大学の俳句研究会とかの内輪性にとどまって表には出てこない。若手俳人で思い浮かべるのは神野紗希ぐらいだった。彼女が生まれたのが1983年だったのだ。1984的俳句の世界を考えてしまう。

TVは録画をいろいろ見たかも。『光の君へ』は「猫の恋」だったな。あと「ジャズ・トゥナイト」のリクエスト特集で八代亜紀「ジャニー・ギター」がかかった。八代亜紀のジャズは演歌の訛があるんだが、これは良かった。


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