見出し画像

桃尻語がエモくなってより現代っぽく

『いとエモし。―超訳 日本の美しい文学』koto

愛も、喜びも、悲しみも、ぜんぶ詰まってた。枕草子、万葉集、古今和歌集、徒然草、方丈記、平家物語、紫式部日記…etcから生まれた。泣きそうなほどエモいエッセイ×エモいイラスト。超訳日本の美しい文学。
目次
1章 孔雀青のエモ
2章 不言色のエモ
3章 紫式部のエモ
4章 苔色のエモ
5章 朱鷺色のエモ
6章 深緋のエモ
7章 金糸雀色のエモ

目次にあるのはイメージカラーとしてのコレクションでその色の和歌なり文章なりが示される。厳密な分類ではないとは思うけど、イメージとかそういう感性の本なのだ。それは文章の背景に描かれるイラストであっても、ネット的共同体的な集積なのである。そんなエモさを集めた語彙集といえばいいのか?

それはネット世代のコトワザと言っていいかもしれない。古臭い諺ではなく、ネットスラングも時には使いながら今を伝える言葉というのだろうか?枕草子から「をかし」をエモしと感じた時点で感性の言葉となっていく。なによりも彼女の文章は上手い。上手いというか今風なのだ。

花見れば袖ぬれぬ
月見れば袖ぬれぬ なにの心ぞ  『閑吟集』

花を見たら泣けてきた。
月を見たら泣けてきた。

どこからか、
自然とあふれ出てくる気持ち。
これはなに?
それはきっとーーー
1 まじエモい。ってこと
   
「閑吟集」305

これは背景のイラストやレイアウトも含めて一つの表現形態なのだと思う。そこにイラストやレイアウトに負けない彼女のストレートな彼女の言葉があり、古典の題材は一つのアイテムとして彼女の言葉を映し出す古典なのだろう。

例えば、彼女のコトバで参考にしたいのは小野小町の和歌の現代性。

思ひつつ
寝ればや人の 見えつらむ
夢と知りせば 覚めざらましを  小野小町

あーあ。
会えてめちゃくちゃ嬉しかったのに。
夢だってわかってたら、
ずっと寝てたよ。    koto

色見えで うつろふものは
世の中の 人の心の
花にぞありける    小野小町

花はいいよね。
だって咲いてるか
枯れてるかなんて、
ひと目見ればすぐにわかるから。
でも、やっかいなのが見えない花
心の花
だって人の「好き」は
いつ枯れるかわからないでしょ。  

それが私は、とってもイヤなの。 koto

2首目の歌はかなり違っていて、若い時から花の枯れるのを見ているのと、今までの解釈だと老いから花の枯れるのを見ている達観した表現とされるのだが、まったく逆で今が全てという感じに読める。

一番新鮮なのはやはり『枕草子』の春夏秋冬のエモい文章だろうか?清少納言が現代っ子に蘇る。

また俳句も取り上げられていて、その意味深な世界も好きかもしれない。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?