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シン・短歌レッス129

王朝百首

           満つ潮にかくれぬ沖の離れ石霞にしづむ春のあけぼの  源仲綱  

藤原姓も多いが源姓も多い。武人のようだ。妹に百人一首に載る二条院讃岐がおり、「沖の石」を詠んでいるという。

「沖の石」は、仲綱自身であるともいい、波には隠れないが霞には隠れてしまうと歌う。霞は貴族社会ということか?霞に涙の意味もあるという。その歌の流れを二条院讃岐が引き継いでいるのか?

現代短歌史

篠弘『現代短歌史Ⅱ前衛短歌の時代』から「戦後思想の表現者」。短歌に批評が必要だというのは釈迢空(折口信夫)が大正末期から発言していたが、国家翼賛体制に短歌は一色になっていく。その反省から戦後は様々な批評が外部からもなされていく(桑原武夫「第二芸術論」など)。そのことから「短歌研究」は評論の新人部門を設けた。

そこで菱川善夫と上田三四二などが誕生していく。それは短歌の方法論などに新しい試みを呼び込んで、それまでの短歌とは違う方法論の歌人が出てくる。相良宏、春日井健、浜田到、安永蕗子、前登志夫、山中智恵子など。

その中で一番みのりがあったと思われるのは塚本邦雄と大岡真の短歌の方法論をめぐっての論争で、新しい調べで、五七調をどう乗り越えていくか?)について、塚本が大岡に答える形で実践的な作品(歌集『感幻樂』)をものにした。それが『装飾楽句』であり大岡も塚本の力作を認める形となった。大岡は短歌が近代詩のようなサンボリズム(象徴)詩を通過してないから古い形式の歌しか読めないということに対して、塚本がそんなことはなく、自分自身は新興俳句に注目していて、新興俳句のサンボリズムを取り入れ、七五調ではなく、句跨り句割れを意識的に行っているという。その成果として『装飾楽句』を発表したのだという。塚本邦雄の手法は今では当たり前のように行われていて、次の世代の俵万智になると極めて自然な形の口語体で句跨り・句割れが行われているという。

岡井隆X吉本隆明の論争は、吉本の方が短歌の認識不足ということで、石川啄木を今更出してきて散文化の可能性などと言っていると岡井隆に反論されていく。要は吉本が実験的と称賛した赤木健介の行分け字余り短歌が短歌以前に歌(詩)としての内容が貧弱すぎているということで、短歌の定形はそんなもんで崩れるものではないと主張した。ただ吉本の論理は単純な面があるかもしれないが、次世代の俵万智とかを見ると散文化(吉本は小説化と言っている)は行われているような気がする。岡井隆が定形・韻文の短歌の伝統をこだわっているうちに、次世代はコピー化という散文短歌が主流になっていた。

寺山X嶋岡論争は、寺山の短歌がいつまでも青春短歌でもう少し自己を深める歌を読むべきだという批評に対して、それも演技で短歌は遊戯として始まった伝統があり、そうしたマンネリズムも一つの手法だと反論する。ただ寺山は短歌だけに満足することなく、それ以後は歌(流行歌)の歌詞や演劇に表現を拡大していく。ほとんどテーマは変わること無く表現形態の違いをみせてマルチ作家となっていくのだった。最終的には映画という大衆芸術になっていくのが、寺山の表現者としての力量だったのかもしれない。

齋藤史

『記憶の茂み: 齋藤史歌集 和英対訳』から「朱天」より

はづかしきわが歌なれど隠さはずおのれが過ぎし生き態なれば

「朱天」は戦時に発表されたが戦後翼賛的歌は削除されたようだ。斉藤史はその時代に合わせながらも反骨精神を持った歌人ではあるが、戦時に出した歌集となれば翼賛的にならざる得なかったのだろう。

秋乾く葉ずれの音ははるかより我に至りてまた遠のくも

枯葉の音なのだろうか?

夜ふかくわが庭に来てけだものの犬の水飲み身ぶるふ音す

疎開した田舎(信州)の恐怖感か。

のぼりの如くおのがこころを吹き流すあそびをせなと野にいでてゆく

もうモダニズムも消えてしまったのだろうか?短歌のリズムが自然だ。

暮れゆけば心やすけく何となく夜にまぎれて我は居りつつ

自然に溶け込んでしまったかのような。

目の前に響(な)りて止まざる鐘があり響り終わるまで聞かねばならず

どういうことだ?寺の鐘なのか?そこの町内会長の僧侶とか?なんかそういう鐘は象徴なんだろうな。時を支配するというような。

ひとすぢに捨身(しゃしん)の道をいゆきたる友夢に来て物言ひにけり
(二月二十六日の事件より五年の月日たちぬ)

夢にたちかなしかつる面影やおろおろして我は目覚めつ

すり放つたまゆらの火に見ゆらくは御仏ならしからずば鬼

わが歌か我を追ひたてやまざるはいのちか知らずか吹かれつつ行けり

獣は何かの比喩なんだろうか?村人とか?

俵万智

『短歌研究2024年4月号』の俵万智特集の続き。

小島なお選

愛された記憶はどこか透明でいつまでも一人いつだって一人

『サラダ記念日』

子を抱き初めてバスに乗り込めば初めてバスにわが乗るごとし

『プーさんの鼻』

小島なおもお母さん歌人というイメージが強いがそのお母さん歌人ならではの選が「子を抱き~」の歌かな。この感覚は母親しかわからないというか母親に共感していくのだろうな。

それでも『サラダ記念日』は一人というのだが、「愛された記憶」という幸福感だった。大衆の一人を肯定する俵万智の歌は大衆に支持されて当然なのだろう。

佐々木定綱選

ごみ捨場に歌を歌える子どもには歌いたいから歌う歓び

『チョコレート革命』

愚痴、不満、悲観、諦念、母からマイナスイオンたっぷり浴びる

『アボガドの種』

俵万智の明るさはごみ捨場に見出すポジティブさか。そこで歌を歌えるというサルトルの逆だな。いつでも歌っていいんだという。そして日々の愚痴さえマイナスイオンにしてしまう強かな母の強さ。森の光と陰の陰影がますます光を強くする。

笹公人選

さくらさくらさくら咲き初め咲き終りなにもなかったような公園

『サラダ記念日』

はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり

『かぜのてのひら』

両方ともリフレインが効果的だという。リフレインは歌謡曲的でマイナスに評価されるが、俵万智のリフレインには効果だけではなく意味がある。それも意図的なものを感じさせず自然のリズムとしてのリフレインだという。

堂園昌彦選

スマートフォン持たないことの豊かさを思う日暮れのバスケットボール

『アボガドの種』

我も君もただ「ヒト」とのみ記されて人体見本になりたき夕べ

『サラダ記念日』

上の句はPTAの会長のような歌だが俵万智の教職性が良く出ていると思う。
そうした傾向は『サラダ記念日』頃からあったのだろうか?ポピュリズムの歌。

永井祐選

「おれが今マリオなんだよ」島に来て子はゲーム機に触れなくなりぬ

『オレがマリオ』

言葉から言葉つむがずテーブルにアボガドの種芽吹くのを待つ

『アボガドの種』

上の歌も教育的だが、そもそも都会ではそうした遊ぶ場所もないからゲームに熱中するという逆なんだよな。そうした環境を選べる贅沢さ。

アボガドの種という捨ててしまうものにも植物観賞するという余裕があるのだ。こういうことは生活に余裕がないと出来ないだろう。そこに誰でもできるだろうと演出するのだが、実は生活に余裕がないとそういうことは出来ないのだ。短歌も同じなのかもしれない。

日本的感性と短歌

佐佐木幸綱『日本的感性と短歌』立松和平「しみじみ胸の底が痛んでくる」より。

立松和平はニュースステーションでの朴訥とした語り口で人気だった小説家。小説は60年代の全共闘世代の作品が多いのだが感情的な感じかな。若山牧水の紀行文に対する感傷もわかりそうな気がする。

幾山河超えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく

漂白の歌人と言えば西行がいるが、西行は僧侶でもあったことから「寂しい」とか「悲しい」とか詠わなかった。歌の中に希望は見出していくが人生に対して毅然な態度で望んでいた。西行は桜と共に月の孤独さに合一し、歌にすべてを投げ捨てたが、牧水は近代人の意識を持った歌人なのであった。西行が山川草木に寄り添うのだが、牧水は人に寄り添う。それは日本人が振り捨ててきた心性の問題として、牧水の心に去来する感情なのである。

『みなかみ紀行』の「みなかみ」は土地の名前ではなく「水源」という意味の「みなかみ」なのである。水源が近くなると牧水の気分は高揚するという。牧水と自由律の山頭火は酒よりも水を求めていたというところで似ているのかもしれない。しかし酒に溺れていくのも共通しているのかもしれない。

きりぎしに通へる路をわが行けば天つ日は照る高き空より

きりぎしは「切り岸」で絶崖のことであり、牧水は『みなかみ紀行』で15首の歌を詠む。作者はわざと困難な路を選んで通っていくが不安な心持ちから日が照る中で自然と一体化していく。その視点の移動が魅力だという。不安な心持ちの中にあって自然を見出していく。

木々の葉の染まれる秋の岩山のそば路ゆくところかなしも

「かなしも」という感情を捨てきれない牧水はその気分によって歌を量産させていく。そこには厳選していく意識というのはないのである。そこに読者によりそっていく共同意識があるという。自然の過酷さの方に自己を埋没させていくのではないのだ。むしろそこに近代短歌の陥った脆弱さを読む。

古りし欄干(てすり)ほとほととわがうちたたき渡りゆくかもこの古橋を

短歌ほど主観性の強い文芸はいないという。そこにあるのは石橋でもなく丸木橋でもない。欄干がある木の橋が愛おしいとなると言う。そして牧水は韻文ではなく、散文の紀行文としてその解放感を綴っていくのだった。そこに牧水が歌人から解き放たれた旅人として筆を取る。そこに定形ならではの強さと危うさを持つ歌から牧水が解放されていくのだという。

「三十一音への亡命ー危機のヴィジョンとしての短歌の言葉ー」永原孝道。
牧水と正反対の方向に進んだのが正岡子規だという。正岡子規の頭にあったのは短歌はこのままだと消滅していくものであり、その危機感が『歌よみに与ふる書』を書かせた。

それは『古今集』から『万葉集』へと逆戻りするのではなく、『新古今集』の以降へ何よりも実朝の歌詠みの姿と重ねていく。それは実朝が自身の滅亡をしりながらもなおも歌の世界を残したいとする意志のようなものが、病魔に侵されながらも歌を残したいという子規の姿に重なるのだ。

実朝が見た危機のヴィジョンを小林秀雄はランボーに見た。滅亡のヴィジョンは『源氏物語』の王朝の雅な世界の消滅として俊成の歌に表れていた。

天の戸をおし明方の冬の月氷はおのが光なりけり  俊成

己自身の光だけが和歌の世界なのだ。それも月氷の極北の世界だという。三十一音は、現実世界から亡命した場所で存在するしかないのである。

なむあみだ 仏つくりが つくりたる 仏見あげて 驚くところ 正岡子規

むしろ和歌は室町過ぎると俳諧の町人文化へと展開していく。そして江戸ではまったく和歌など限られた貴族だけのもので、そのしきたりを変えようとしたのが正岡子規であった。彼が描いた世界は地獄絵図の世界であり、その子規が地獄絵から歌を読む手法を茂吉が模倣するのだが、それを写生と言ったのだ。つまり現実世界にないことでも写生は出来るという写実は精神世界も含んでいたのである。それが斎藤茂吉『赤光』である彼岸の世界観なのだ。それは塚本邦雄が言う茂吉の幻想短歌ということなのだ。

浄玻璃 じょうはり にあらはれにけり 脇差 わきざし を差して女をいぢめるところ 斎藤茂吉

『赤光』

「~ところ」は「~の場面」という意味だが、茂吉はそれは邪魔だと考えていたようなのだが、正岡子規を模倣して短歌を作ることを学んだ。茂吉にとって「写生」は自然を対象とするものでもなく心の実相も写生することを含んでいた。

NHK短歌

毎回NHK短歌をやっているのだから週一になっているのか?第三週は大森静佳だった。今一番乗っている歌人だろうか?今の短歌がわかるかも知れない。

 1“ものがたり”の深みへ 題「アクセサリー」
第3週は大森静佳さんが選者の「“ものがたり”の深みへ」。4月のテーマは「アクセサリー」。ゲストは写真家の植本一子さん。司会はミュージシャンの尾崎世界観さん

短歌一首で物語性を出すのは難しいよな。むしろ断片性が短歌だったりすると言うのに。最近は物語性を求めるのか。これは得意かもしれない。映画とか絵から短歌を作るというのはここでやっていることじゃん。大森静佳は期待できるかもしれない。ただ我の物語は暗黒物語だからな。

アクセサリーは難しいよな。あまり付けない。健康ネックレスとかも最近は付けない。女子短歌が多いような気がする。

主(あるじ)なき棺の出土図勾玉のちらばるあたりが胸だとわかる

これは凄いな。自分的にはこれが特選。

争ひは健康ネックレス誰のもの棺に入れろ闇の声する やどかり

狂歌みたいになったな。

映画短歌

『劇場版 再会長江』

本歌は俵万智に挑戦。

はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり

村沈みダム開発に浮き沈み光見る人いて並びおり やどかり


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