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ウクライナ文学を紹介


『ペンギンの憂鬱』アンドレイ・クルコフ , 沼野 恭子 (翻訳)

何が起こっているのか知らないほうがいい。自分もその謎を作りあげた張本人なのだから――。欧米各国で絶大な賞賛と人気を得た、不条理で物語にみちた新ロシア文学。

恋人に去られ孤独なヴィクトルは売れない短篇小説家。ソ連崩壊後、経営困難に陥った動物園から憂鬱症のペンギンを貰い受け、ミーシャと名づけて一緒に暮らしている。生活のために新聞の死亡記事を書く仕事を始めたヴィクトルだが、身辺に不穏な影がちらつく。他人の死が自分自身に迫ってくる。ロシアの新鋭による傑作長編小説。

ウクライナの作家が死亡記事の文学的追悼文を前もって書いて置くという仕事を引き受け、それに伴い死亡事件が発生したり編集長が殺されたり不穏な社会の中で編集長から預けられた幼い少女とベビーシッターの彼女とペンギンの疑似家族の物語。ウクライナの作家ということだけど平易な文章で読みやすい。村上春樹にも比較されることがあるようで、なんとなくニューヨーカーに載るようなストーリーかなと思うと闇の世界があり表側は平和だけどどこか危ういバランスを保ちながら物語が進んでいく。魅力はペンギンと幼い少女か。独身者の疑似家族物語。

次々に起きる殺人事件よりも憂鬱症のペンギンとの生活が魅力的。例えば葬儀にペンギンを連れ出して参列するとか。それが商売になって大金を得ることになる。ペンギンは南極生まれでウクライナでも暖かすぎて心身症で心臓も悪い。ペンギンが病気になって心臓の移植手術をしなければならなく、その心臓は人間の子供の心臓がいいとか、そんな裏側が恐ロシアでありながら表側はウクライナのクリスマスがあったり(季節の移り変わりの描写が良く)浮かれ気分。ペンギンは憂鬱症だけど。そんなメリハリがいい感じの小説。(2019/06/26)

ペットして飼われるペンギンの出てくる話と言えば『新世紀エヴァンゲリオン』のミサトが飼っている「新種の温泉ペンギン」ペンペンで、『新世紀エヴァンゲリオン』がTV放映された時期ともほぼ重なるのではないか。それはソ連邦が崩壊した1990年代からもたらされた世界観(アニメでは世界系とか言ってました)、しかし一方でそうした混乱した世界の中の日常(非日常の中の日常)をも描いていた。それが日常の中に現れてくるペンギンのメタファなのか?

アンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱』は、それまでのソ連邦の小説というよりは、西側諸国の小説に近い印象のポップでお洒落な感覚の中に潜む現実の闇を描いている。それはまさに、村上春樹の文学に近いのかもしれない。だから西側諸国で翻訳され、それまでのロシア文学と違う新しさがあったのだと思う。それは文学だけではなくウクライナの生活実態もそのようなものだったのかもしれない。

いま、ロシアがウクライナに侵攻して、とてもじゃないがこういう文学は書かれないだろう。それは過去のウクライナの姿なのである。しかしその闇の部分には確かにプーチンのロシアは存在していた。そのことにもっと早く気がつくべきだったのか?文学は、坑道の中のカナリヤなのである。ペンギンは鳴くよりも、飛べない羽をばたつかせて自由を求めたのかもしれない。(2022/03/03)



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