独裁者もキリストの復活を求める
『独裁者たちのとき』(2022/ベルギー・ロシア)監督・脚本:アレクサンドル・ソクーロフ 出演:アドルフ・ヒトラー、ヨシフ・スターリン、ウィンストン・チャーチル、ベニート・ムッソリーニ ※全て本人(アーカイヴ映像)
ソクーロフのエンタメ映画というよりは表現の為のアート・ムービーという感じか?今だったらAIの技術を使ってもっと鮮明なストーリー的にも奇想天外な映画は作れると思う。そういえばヒトラーが現代に復活するという映画は『帰ってきたヒトラー』という映画があった。
そういうエンタメ映画とはあきらかに違うのだ。ただ残像として残るのは、どっちだろうか?と考えてしまう。エンタメ映画の消費性は次々に新作が現れては更新されていく。『帰ってきたヒトラー』もそういう怖いけど笑える映画があったよね、と消費されていくのだ。
正直ソクーロフのこの映画を一時間以上観続けるのは辛い。それがカンヌ映画祭という商業映画祭では上映中止になった理由だろう。まずエンタメ映画ではないのだ。
ただ過去の忌まわしき独裁者がイエス・キリストと共に復活するのは何を意味しているのか?イエス・キリストの復活というもう一つの復活は、多分それは人々が救い主として望んでいるからだろう。そのキリスト(救済者)として過去の忌まわしき独裁者が復活してくるのである。
それはダンテ『神曲』の『地獄変』から『煉獄篇』へとつらなう物語なのだが、『天国変』は描かれることはない。それは当然か?予感させるセリフはある。スターリンが社会主義は天国だと言うような。その天国は独裁者のための天国であって、われわれのものではない。大音響と共に鳴り響く音楽は、クラシックのワーグナーの行進曲風なものなのか。人民が独裁者のために歌う戦争讃歌のような。
それはこの映画がロシアのウクライナ侵攻の時に急遽作られて上映まで持ってきたソクーロフの映画のプロパガンダであろう。
映像と共に独裁者たちが話すセリフは、喜劇的なものだ。実際にオフレコの話とかはこんなものだろうな。プーチンがどんなにロシアの理想を語ろうが、そこには国民のことなど顧みない独裁者の顔が重なる。これはいま起きていることなのだと感じずにはいられない。そして戦争に駆り出される群衆と共に数多くの犠牲者がぼんやり映し出されるのだ。彼等のことは忘却してしまったかのように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?