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夕日落ちカエルコールの田植えかな

昨日買い物に行ったら田植えが行われていた。ほとんど機械植えだったようだけど、その作業風景は観られなかった。すでに夕方になりつつあるので。そういえば日が伸びたな。昨日の日没18時38分だとある。買い物して6時過ぎても明るかったような。夏至ってもうすぐなのか?6月27日でまだまだ先だ。

なんで画像が小さいくなるんだ。もう変化にはついて行けない。

夕陽を見ると自殺予防にいいと朝ラジオで言っていたような。朝日だと思うのだが。その記事を探していたら、夕日と夕陽の違いがわかった。

【聴き逃し】高橋源一郎の飛ぶ教室 娘が見守り続けた老老介護の“リアル” 5月26日(金)午後9:05放送 https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=6324_01_3863911

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「ひろみ庵」の人生相談。後半。そうだ。オープニングで名前のことを言っていたのだ。大江健三郎『同時代ゲーム』で一般名詞が固有名詞に変わるところがあり、手紙でも双子の兄妹について名前が明らかにされるのが「第四の手紙」だった。

「壊す人」という伝承の神話が歴史的物語になるとき、「壊す人」の生まれ変わりの亀井銘助という固有名詞で呼ばれることになる。

固有名詞が必要になったのは、戸籍制度によって地税を収める為だった。一人について米何俵とか。それが納められないと不満が高まり一揆が起きるのであった。その一揆についての小説だった。

そろそろ読み終わらねばならないのであるが。読書メーターは読了にしてしまった。コトバを具現化するということです。

昼頃目覚め『らんまん』をみた。午前中、洗濯機を掛けてみていたのだだが寝てしまって『呪術廻戦』に変わっていた。『らんまん』を見直して(録画)この連続ドラマは本当にいいと思うのは草花のことを知れるのと、時代が文明開化の頃でそれが文学にも影響を与えたという。芥川龍之介『鹿鳴館』と滝沢馬琴『南総里見八犬伝』が同時に存在する時代。

ぐずぐず部屋に引きこもっていたのだが、『まんてん』を観て植物採集(スマホ写真)に行きたくなり買い物へ。そして表紙の写真となったのである。

帰って『呪術廻戦』の続きをWOWOWオンデマンドで観ていたら、『推しの子』も観なくちゃと思って切り替えた。『呪術廻戦』が飽きてきたこともある。こういうドラマは延々と延々と戦い続ける。そうだ『南総里見八犬伝』はこういうアニメの元祖で、それが漫画になり『アストロ球団』が出来たのである。

「BSマンガ夜話『アストロ球団』」に見入ってしまった。これは滝沢馬琴『南総里見八犬伝』の野球版かと思っていたら、表現形態としてはマジック・リアリズムの世界で大江健三郎『同時代ゲーム』だと思った。大江文学の特徴のような過剰さについて語っている。一球投げる間に投手の心理、バッターの心理、解説によって延々と引き伸ばされて魔球(マジック)となっていく。大江健三郎の文章も、村の神話、現在の作者、妹のこと、村の歴史、大日本帝国の歴史と過剰さを積み上げてマジック・リアリズムの世界を構築している。『アストロ球団』(1972年)と『同時代ゲーム』(1979年)って同時代だったのだ。『アストロ球団』の方が早いけど。
70年代総括というような感じか。大江健三郎は『アストロ球団』を読んでいたのか?たぶん、それはないが当時はそういう社会だったのだ。野球で革命起こすとか、文学で革命起こすとか。

それで『アストロ球団』が男の子漫画(少年雑誌)の世界ならば、『推しの子』は少女漫画の世界。醒めているんだよな。今の社会を良く捉えているよ。これに比べたら『呪術廻戦』とか『鬼滅の刃』なんてパロディの世界だよな。まあ、そういう物語に入れ込んでしまうのも時代なのかもしれない。その一方で『推しの子』のような漫画が出てくる。

今日の一句。

夕日見る主人公たちは田植えせず

夕日みる見物人は田植えせず

みると見物人が重なるか

夕日落ちカエルコールの田植えかな

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