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赤黄男堕ち大音響の結氷期

『戦争と俳句』川名大

富澤赤黄男俳句研究史の最先端を切り開く新資料『戦中俳句日記』の翻刻と読み解き。時局に同調した「支那事変六千句」の皇軍へのバイアスと情報操作の剔出。
戦争と俳句にかかわるテクストを犀利に読み解いた画期的な一冊である。

富澤赤黄男(とみざわかきお)の俳句、

蝶墜ちて大音響の結氷期  富澤赤黄男

が好きでもっと富澤赤黄男を知りたく図書館で借りた。まず「結氷期」を「氷河期」だと思っていた。赤黄男も「あきお」と読んでいた。そして、この俳句は戦後の60年代ぐらいに作られたのだと思ったら戦時だった。

勘違いも甚だしいし、まったくこの俳句から何も読み取れていなかったのだと思った。富澤赤黄男は新興俳句の人で、そうだ以前、新興俳句の本で読んで知ったのだった。

「蝶墜ちて大音響の結氷期」は、『天の狼』に収録された「前線俳句」で戦意高揚俳句だった。新興俳句は治安維持法によって弾圧された「京大俳句事件」がありその反体制の流れをくむ人だと勝手に思っていたが、富澤赤黄男は徐州作戦の出征軍人として、皇国史観へのバイアスと情報操作を兼ねた作品で、後に桑原武夫が「第二芸術論」で批判した「戦時体制化の中で突きつけられた表現者の批判精神のない体制」俳人の一人だった。

それを紐解く作業として、第1章で『富澤赤黄男戦中俳句日記』を読み解く中で『天の狼』の戦意高揚俳句としての改正点を上げ聖戦俳句として成り立ちを語っている。その中で娘に捧げた感傷的な俳句もあり、新興俳句が大政翼賛会への同調を示した記念碑的な作品だったのだ。

それまで「蝶墜ちて大音響の結氷期」も単独の中で戦争突入の象徴俳句として悲劇的に読まれたのだが、実際に赤黄男が出征した北方の千島列島の現地の情景だったようだ。作品集『天の狼』が戦意高揚俳句として読まれるべきものだったのだ。その中には、

捕虜を斬るキラリキラリと水ひかる
サンサンと陽のこぼれくる捕虜を斬る  富澤赤黄男『天の狼』

という俳句も詠まれている。また赤黄男はそれほど繊細の人でもないのは、誤字脱字の多さにも現れているようだ。

そして二章では、『富澤赤黄男戦中俳句日記』翻刻として戦時俳句と共に日記をも上げる。その中にそれまでの俳句雑誌「旗艦」を「日本俳句」と改名することすすめる。

「日本短歌にならったといふわけではないが俳句にも「日本俳句」あるべきを昨夜考へ、且つ時局の上に新しい体制を取る時機なれば思ひ切つて「日本俳句」と改名することを良策として考えたので一応意見として述べておいた。
日本伝統の美しい詩をあくまで正統に伸展せしめなければならぬ。」『富澤赤黄男戦中俳句日記』

Ⅲ「支那事変六千句」八十年目の真実ー皇軍へのバイアスと情報操作ーでは、「前線俳句」は虚子の「ホトトギス」が多く採用され、新興俳句誌は「前線俳句」も「銃後俳句」も少ない。中国戦線拡大と共に「前線俳句」も「銃後俳句」も連動して多くなっていくのだ。そして、中国中央から北中国へ転戦していく。それは最初の勝ち戦から守衛戦になる中での戦意高揚俳句として役割を持っていた。戦争に係わる中で俳句各誌の編集方針が興味深い。

「旗艦」は「国民精神総動員の時局において「文芸報国に励精すべき」と聖戦俳句的な見地がみられ、異色である。


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