鶯にはなれない夕霧は時鳥(ほととぎす)か?
『源氏物語 21 乙女』(翻訳)与謝野晶子( Kindle版)
朝活、源氏風呂。今日は『少女(乙女)』ヤバそうなタイトル。父親(光源氏ら)の子供たちに対する欲望だった。人口楽園というような四季の宮。ボルヘスみたいだな。日本の庭園は自然のミニチュア化のように感じる。それが王朝文化の雅だった。それは人(子供たち)に対しても行われる。
夕霧は亡くなった葵の上と光源氏の息子だが元服になっても官位を与えられなかった。当時の貴族社会は6位以下は殿上は貴族(殿上人)の世界は人間以下というように蔑まれていた(『平家物語』の平家の恨みにもなっていた)。
光源氏は夕霧に親の七光りより、実力で地位を勝ち取るようにと大学(当時は漢文の知識を得るところで、それが出世の道だった)へやる。これは中国の科挙に似たような制度で貴族でないものが出世する当時の方法であったとする。その一番出世したのが菅原道真だということである。「学問の神様」と言われるのはそういうことだったのだ。
しかし親の思い子知らずで、夕霧はそんな虐げられた地位に不満である。また光源氏の血筋の子であるから、地位よりも恋に目覚めるのだった。まず最初の恋は内大臣(頭中将)の娘・雲居の雁だった。頭の中将の妹が葵の上だからいとこなのである。この前の帖『朝顔』でも光源氏はいとこである朝顔に恋心(文のやり取り)をしていたので、そこも重なるのだ。
しかし内大臣は、天皇の后選びで光源氏に負けたので、次はその妹で東宮に嫁がせようと花嫁教育をしていたのに、またしても光源氏の息子に邪魔されたのだ。それで夕霧と雲居の雁は引き離されてしまう。親の権力争いの犠牲になった二人なのだが、ここではそれ以上深入りしない。
夕霧はその代わりとして惟光(光源氏の付き人)の娘を五節の舞で見かけて恋心を起こすのだが。ここで注目される「五節の舞」がこの帖のタイトルにもなっている。
「五穀の舞」を詠んだ和歌ですね。夕霧は光源氏の付き人惟光の娘が「五穀の舞」をみて、その弟に手紙を託す。すでに光源氏の血筋だった。
光源氏がそんな夕霧の女御に頼んだのは花散里だった。これは夕霧が宮廷内の女たちにちょっかいを出さないように愛人を与えたような気がする。光源氏のセックスコントールのような。花散里だからまだいいけど末摘花だったら嫌だろうなと思う。とにかく夕霧に良い感情はないだろう。
ここから話は光源氏の六条御息所の敷地内に建設した四季の宮の話に転ずる。それぞれの四季に合わせて庭を造園し、光源氏の愛人たちを住まわせる。
まず六条御息所の娘、梅壺は天皇の后となって、中宮になっていたのでその里(秋の部屋)に住まわせた。彼女は秋好中宮と呼ばれて、尾形光琳の絵にもなっている。
春は紫の上と明石の君の娘が住む場所で、夏が先ほど言及した花散里(夕霧)、そして冬の間が明石の君である。光源氏の頂点か?宮中の「春鶯囀」の舞を演奏する光源氏はかつて『花宴』で舞った青年であり、今はその黒幕として演奏しているのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?