映画の裏側が見えてこない
『ぼくたちの哲学教室』(2021年/アイルランド、英、ベルギー、仏)監督:ナーサ・ニ・キアナン、デクラン・マッグラ 出演:ケヴィン・マカリーヴィーとホーリークロス男子小学校の子どもたち
評判の映画なのだが、自分は感動できなかった。それはアイルランドの闘争のアイルランド民族派とイギリス寄りの統合派の争いなのだが、映画ではアイルランド民族派のナショナリズムとしての英国国教会プロテスタントの憎悪として描いている。それはアイルランド暴動(暴動とうっかり書いてしまったがこういう闘争は一方が「暴動」として処理する)の歴史性を忘れて、西欧的なキリスト教的な哲学中心教育というものが透けて見えるからだ。例えば、この映画を支持しているNHKや文部省のあり方を観ると、例えば沖縄の基地問題も透けて見えるのではないか?
それは管理された教育の中での対話という西欧中心主義に基づく哲学だからだ。校長の論理は我慢する子供たちに洗脳していくというふうにしか見えなかった。それはアイランド民族派を一方的に悪と見なすビデオを見せることで明白だった。
例えばパレスチナでも圧倒的に壁を囲って軍事力を持っているのはイスラエルだということだ。イスラエルが対話しましょうと言っても今までやってきたことを彼等が反省しない限り対話など生まれるはずもないのだ。
この映画でもアイルランドを囲むイギリスという存在を無視しては語れないのだった。そして彼等が裕福なのは、アイルランドを支配しているイギリス側だからである。校長のプレスリー趣味は自由主義の憧れだが、それはアメリカ資本主義による自由主義のような気がする。まず第一に子供たちに見せたビデオがアイルランド過激派のものだった。そこにこの映画の違和感を感じてしまう。
日本だったらヤンキー先生の改心のような現状肯定する世界というような映画なのだと思う。その中に巧妙に心理学カウンセラーや保守教育という権力装置が織り込まれているのである。何故ならこの校長に反対する者がいない、彼を頂点とした映画だからだ。子どもたちはそれに従属するものに過ぎない(建前上子どもたちを全面に出すが壁画にされるのは優等生だった)。
こういう映画が全面的に支持される兆候はやはり危険なのである。それは感情に訴える映画で、問題提起的な映画ではないから考えない映画なのである。
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