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花散里というより橘の香

『源氏物語 11 花散里』(翻訳)与謝野晶子( Kindle版)

平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。全54帖の第11帖「花散里」。麗景殿に源氏が好意で世話をしている女御がいた。その妹・花散里と若かりし頃恋愛をしていた。久しぶりに訪問する途中、一度だけ来た事のある女の家の前を通り、声をかけるが知らぬふりをされてしまう。麗景殿は望んだとおりの落ち着く佇まいで、源氏は穏やかな心持ちで昔話を女御と語らう。その後源氏は花散里と久しぶりに再会し、愛を確かめあうのだった。

Amazon紹介文

『源氏物語』で一番短い帖だという。その前の血族どろどろの怨念合戦から、田舎で箸休め的な章なのだろうか?後の帖で再登場するようだがあっさりし過ぎて感想もない。橘の和歌のやり取りに華やかな匂いを感じるぐらいか?

橘の和歌は紫式部も詠んでいたのじゃないか?ライバルの和泉式部だった。敦道親王が橘の花を持ってきてそれに返歌したのであった。橘には『伊勢物語』や『古今集』で有名な歌があった。

五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

和泉式部も紫式部と同じ道長の娘藤原彰子の教育係だったのか、そのサロンが女宮文学が花盛りし頃なのであろう。道長から紫式部が投げられたのは女郎花だった。このへんもライバル意識剥き出しのような気がする。ただ『源氏物語』はすでに書かれていたので、この帖は後から書き加えられたのか、それよりやっぱ『伊勢物語』の影響の方が強いのかもしれない。

(光源氏)
橘の香をなつかしみ郭公花散里(ほととぎすはなちるさと)をたづねてぞとふ
(花散里の返し)
人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ

橘の香が全編に漂う帖だった。

マルグリット・ユルスナール『東方綺譚』の「源氏の君最後の恋」は、老いた光源氏と再び寄りを戻して世話をしたい花三里の物語。

盲目寸前なのに欲望の絶えない光源氏にも笑ってしまうが、そんな光源氏に嫌われてもなお寄り添おうとする花散里の奥ゆかしさというより図々しさのように思える。女がこのぐらい積極的になるほどの光源氏の魅力だと思えばいいのか?
やっぱこの思考は西欧のものだと思う。花散里は橘の匂いぐらいで留めておくべきだろう。


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