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キノコ雲より雲の峰 雲の会

昨日はにわか雨が降ったので外に出そびれた。買い物だけ行って、コーラとアイスの昼食。でも八月になって気候は変わった。風が涼しい。相変わらず気温は高いが。

昨日は原爆忌だった。忘れてはならないけれど世間の空気は核の抑止力とだとする。核を持つことで他国に侵略されないとか。原発が自爆装置のようなものなのだが、それは言わない。現にウクライナでも原発が狙われた。

BS1スペ「原爆初動調査 隠された真実」を観た。GHQが駐屯するために原発後の放射能汚染とか調査したのだが、それは秘密裏に行われて資料も好評されることはなかった。映画『ひろしま』でもモルモットのように原爆症患者を調査するGHQの病院が出てきたと思う。ただ原爆症の被害は公表すると原爆による戦争を進めたいアメリカにはマイナスになると言うことだった。日本もその政策に乗っかるのは、沖縄の日本復帰は米軍への核の持ち込みと密約されたのだった。核の傘というのはそういうことだ。

こういう資料がアメリカから公開されることだった。日本側からは出て来ない。それだけ日本の隠蔽工作が酷いとも言える。核の持ち込みもそうだけど。だから日本の政権は大声で核禁止を言えないのだった。アメリカの戦争に従うしかないのだ。世界的に被爆国でありながら、核を保有するアメリカの傘の下にいる属国だと意識することさえ出来ないのか?普通原爆の調査なんて自国でやって被害の状況とか出すべきなのだ。そして核が酷い兵器なのを世界に訴えるべきなのだ。

大江健三郎『さよなら、わたしの本よ!』のテロ行為も核保有する大国への警告としてのテロ行為を夢見るという話だった。ソ連が解体して、爆薬が個人でも自由に手に出来る。実際にオウム真理教はその線を狙ったのだ。爆弾ではなく薬物兵器だったが。リモコンを使った飛行機の攻撃も考えていた。今で言うドローン攻撃だ。その可能性は十分あるのだった。核がこの世界から無くなることはないのだろうか?再び人類はキノコ雲を喰らうのか?

『ドレのドン・キホーテ』を少し読んだ。あと100p.ぐらいか?今日中に読み終わるというか、感想を書いて出かけたいものだった。

今日の一句。

キノコ雲より峰の雲 雲の会

また突っ込まれるだろうけど「峰の雲」は「雲の峰」が季語として正しい。だけど音韻的なこともあり「キノコ雲」は原爆忌の傍題となる気がしたけどそうじゃなかった。

キノコ雲より雲の峰 雲の会

やっぱこっちの方がいいか?



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