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消えていく時間と失われる心

ふと、早足になっている自分に気づく。
ゆっくり歩いても仕事には間に合う。なのに、せかせかしている。
穏やかにまったり暮らしたいと願いながら、急いているなんて。

複雑な気持ちになりながら、小学生の頃に読んだ『モモ』を思い出す。

ミヒャエル・エンデ作『モモ』
円形劇場の跡地に迷いこみ、そこへ住むようになった少女「モモ」。
モモは近くの町の人々に支えられ、愛され日々を過ごしていた。
そこへ、"時間どろぼう"である「灰色の男」たちの魔の手が忍び寄る。

灰色の男たちが欲するもの、それは「時間」だ。大人たちは、気づかぬうちに時間を盗まれていく。

時間を節約しても、全てを合理化しても時間が足りない。そして大人たちは、次第に心の豊かさを失っていく。

ふきげんで、怒りっぽく、とげとげしい冷たい大人たち。夫婦で働き、子どもとの時間すら持てない。

そんな大人の元にいる子どもたちは、相手にしてもらえず見放されたと悲しみにくれる。
高級なおもちゃ、流行りのおもちゃを与えられても、両親と過ごす時間の代わりにはならない。

そうしたなか、「モモ」は意図せず灰色の男たちの邪魔になってしまう……。

時間と心はつながっている
「なにものかになりたい」「大きな成功を遂げたい」「大金を得て幸福を得たい」と、地位や名声、富を欲したために心の豊かさを失う。
そして本来、大切にすべき人や時間を忘れる。

これほど恐ろしいことはない。

1973年に書かれた『モモ』は、現在の社会そのもの。
利便性、収益、高水準の生活を求めることで、時間と心を失っている。

無意識にせかせかしていた私も、大切なものを失いつつあるのかもしれない。
心が貧しくならないよう考えや生活を見直し、大切な人との時間のあり方を改めて考えたい。

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