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#ネタバレ 映画「あしたのジョー」

「あしたのジョー」
1980年作品
兵士たちへの鎮魂歌
2014/9/7 8:47 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

どこの新聞だか忘れましたが、先日、喫茶店で「昔、よく言われた『スポーツ中は水を飲んではいけない』という話は、実は、軍事訓練の中から生まれたものだ」という趣旨の記事を読みました。

つまり、前線兵士は、好き勝手に水を飲んで水筒を空にすると、すぐは補給もできないし、渇きを我慢できないと、汚染された水まで飲む心配もあるので、飲料水については、軍事訓練でも、自由に飲むことを厳しく戒めたのだそうです。

やがて終戦になり、復員兵の中にはスポーツ関係の仕事に就くものもいて、飲料水の話を、こんどは根性論として、スポーツに導入したのだとか。

それで、よく熱中症にならなかったものだと思いますが、実は、選手たちの中には、隠れて、給水する者が少なくなかったようで、なるほどと思いました。

ここは、大事ですね。どんなに怖い上司にも、先生にも、いじめっ子にも、限界点では、言われるままにはならない、という点です。

そんなふうに、終戦直後は、一般の会社など、どんな分野にでも、復員兵が入ってきましたので、仕事のやり方にも、兵士のごとく、ごく普通に根性論があったようなのです。たとえば町医者でも、少しでも怖い先生がいれば、彼は軍医上がりだ、などと噂されることもあったぐらい。

それでも、彼らが戦後の復興を力強く担っていたのは間違いないでしょう。かつてのNHK人気番組「プロジェクトX 挑戦者たち 」を見ると、その延長線上にあるような熱意が実感できます。

そして「あしたのジョー」です。

私は子供の頃、「あしたのジョー」のTVアニメをリアルタイムで観ました。

子供心におぼえているのは、クロスカウンター、ノーガード、力石の死、顔面を打てない後遺症、パンチドランカー、灰のように真っ白に燃え尽きたジョー、などです。

なんだか、破滅的なワード、ばかりですね。

戦争経験のない私などは、打たせて打つ、というクロスカウンターは、発想が信じられない戦術でしたね。痛い思い、苦しい思いはイヤです。

でも戦争では、命が助かるためには、肥溜めにも、潜って隠れなければならない場合があり(どっかで、そんな映画も観ました)、肉を切らせて骨を断つ、という戦術ぐらいは、常識の範囲内、想定の範囲内なのでしょう。

ここから、出てくるキーワードは「命がけの戦い」です。

無人攻撃機を安全地帯から操作する兵士ではなく、最前線で水も飲まずに(そう言えばボクシングの減量中も水を飲まない)戦っている、命がけの少年兵です。

「あしたのジョー」とは、まだ戦争の記憶が生々しかった当時、その記憶が生んだ、兵士たちへの鎮魂歌のひとつ、なのではなかったのでしょうか。

原作者だけでなく、商業化に関わったたくさんの人たちの、無意識の想いが、時代の空気の助けを借りて、そこに結実したのです。

ジョーの戦いとは、深層的には先の戦争だった、のかもしれませんね。

だから、当時、まだ覚めやらないリアルとして、熱狂的に支持されたのでしょう。

映画「ゴジラ」(1954年)や、石原裕次郎さんの映画「銀座の恋の物語」(1962年)など、戦争の記憶を、時代の空気を、色濃く宿した大ヒットの映画が、あの当時はいろいろ、ありましたが、「あしたのジョー」(1967年発売、週刊少年マガジン)もその一つだと思います。


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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