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#ネタバレ 映画「海よりもまだ深く」

「海よりもまだ深く」
2016年作品
狭さは愛憎を増幅する
2016/6/4 6:18 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

初めてハワイに行ったころ、地元の飛行場は小さくて、出発ロビーは、小学校の体育館の1/3ぐらいの広さだったと思います。

19時頃になると、集まった見知らぬ人たちが、ロビーでそれぞれ酒盛りを始め、その「気」が集まって、バス旅行の宴会みたいな雰囲気さえ生まれました。みんなの笑顔が眩しかった。

でも今は、その飛行場も大きく建て替えられ、人影は広すぎるロビーに、散り散りに吸い込まれてしまい、「みんなどこにいるの?」的な感じになってしまいました。一人旅でもしようものなら、ほんとうに、ぽつんと一人。

ところで映画「海よりもまだ深く」では、母が一人住む、狭い団地に、離婚した息子夫婦と孫が、台風の夜に身を寄せるのです。それも一つ部屋に息子夫婦と孫の三人が川の字に布団を敷いて。

さらに、台風だと言うのに、団地の公園にある、巨大ダコのオブジェ(滑り台か)にある「洞窟みたいな穴」に、息子と孫が冒険に行きます。つられて元妻も様子を見に。やがてお菓子を食べたり、飲み物を飲んだり、遠足みたいになりました。「夢の記号」である「宝くじ」を落としてしまい、皆で探すシーンが意味深です。

さらに狭いお風呂も出てきます。母はそこでラジオを聴くのが趣味みたい。防水ラジオがお気に入りです。

「狭さは愛憎を増幅する」のでしょう。

ここらあたりが映画の深層部かもしれません。監督が「団地は社会の縮図」と語っているのもうなづけます。

樹木希林さんと阿部寛さんたちの掛け合いが漫才みたいで面白い映画です。観客のおばさんたちも声を上げて笑っていました。わるくありません。セリフを三度繰り返すシーンが何回も出てきました。あれは小津映画へのオマージュなのでしょうね。

★★★★☆

追記 ( 母は子のためを考える ) 
2016/6/4 7:46 by さくらんぼ

あの離婚した息子夫婦、「よりを戻したくない」と思っているのは元妻だけでした。

でも、「愛憎の増幅装置」である「団地・狭い空間」に入ったことで、元妻の中にある感情が「愛>憎」であることに、元妻自身も気づき始めたはず。

あの夜、元妻のスマートフォンにかかってきた電話は、きっと現在交際中の恋人です(恋人と言うより遊びに近いかも)。台風を心配してかけてきたのです。でも出なかった。元妻は「嵐の夜にはどこ(どの洞窟)へ避難すべきか」という問いに、「動物的本能」で答えを出しつつありました。

この一夜で、元妻は「父のことを大好きな子のため」にも復縁を考え始める可能性が高まりました。そもそも、団地に住んでいる母も息子可愛さのために、復縁の可能性を探ろうと、台風を利用したようです。

この「母は子のためを考える 」が映画の表層部ですね。

追記Ⅱ ( ラストカットの破れ傘 ) 
2016/6/4 7:48 by さくらんぼ

( 映画「四月物語」のネタバレにも触れています。)

映画「四月物語」のラストには「破れ傘」が出てきました。「傘」は「愛情の記号」でしょうす。もし破れていれば問題を含んだ愛。

その「破れ傘」が映画「海よりもまだ深く」のラストにも出てきます。

街路樹の大木の周りに、数本の破れ傘。昨夜の台風で破れたものでしょう。大木は「親」です。「おおきな木」(シェル・シルヴァスタイン作の絵本)にも出てくるとおりですね。

「母の周り(団地)に、愛に傷ついた者たちが集まった姿」を、「愛に傷ついた子を見つめる父母(洞窟で)」を、ワンカットで表現したのでしょう。思えば、あの巨大ダコのオブジェも傘の記号でしたね。

追記Ⅲ ( 嵐の夜に ) 
2016/6/4 14:39 by さくらんぼ

この映画の重要な舞台装置の一つに「嵐の夜」があります。

なにかのレビューにも書きましたが、私は台風の日に女性から振られたことがあります。彼女は台風の脅威と、私の気持ちを勘違いしていたのだと、今でも思っています。

台風が接近しつつあり、だんだん風雨が強くなるときは、誰しもストレスが高まります。そんな時に「恋愛」のストレスなどを持ち込むと、「ストレス×2」になってしまい、嫌われて失敗するのです(たぶん)。

よりによって、そんな夜に、嫌いな男と、狭い部屋で川の字になって寝るとか、もっと狭い洞窟に入って冒険気分になるとかは、普通は女性のすることではないのかも。それが、逃げ出さず、苦も無くできるということは、彼女は元夫を嫌ってはいないのでしょう。

追記Ⅳ ( 一夜の遊び ) 
2016/6/5 9:27 by さくらんぼ

>あの夜、元妻のスマートフォンにかかってきた電話は、きっと現在交際中の恋人です(恋人と言うより遊びに近いかも)。…(追記より)

元夫・良多(良いところも多い奴)は、探偵事務所の仕事、「(妻からの依頼で)別れた夫にできたらしい、現在の恋人調査」のため、風俗嬢に変装した同僚の若い女性と二人で、ラブホテルへ潜入し、隣室で盗聴します。

その翌日、良多は、同僚の女性とともに、職場で大アクビ。「昨日は残業ですか?」と他の人から声も。映画「ローマの休日」の控えめな描写でも「二人はHした」との解釈があるぐらいですので、あのタイミングでの「アクビ」も同じ意味なのでしょう。

でも、二人は恋人ですらありません。「一夜の遊び」でした。あんな場所・状況で、一夜、男女ペアの仕事をすれば、間違いが起こっても不思議ではありません。

たぶん、これは妻の恋人話と対になっており、妻の方も「遊び」という意味なのでしょう。本当の恋人ではなく。

追記Ⅴ ( 「101回目のプロポーズ」 ) 
2016/6/5 9:47 by さくらんぼ

>元夫・良多(良いところも多い奴)は、探偵事務所の仕事、「(妻からの依頼で)別れた夫にできたらしい、現在の恋人調査」のため、風俗嬢に変装した同僚の若い女性と二人で、ラブホテルへ潜入し、隣室で盗聴します。(追記Ⅳより)

その依頼してきた妻に、良多は尋ねたのです。「女性の恋は上書き保存ですか?」と。

その答えは、「油絵みたいなものよ。上塗りすれば、下絵は見えなくなるけど、消えるわけではないの。だから、上書き保存ではないわ」でした。

良多は、それを確認して喜び、元妻との復縁に発奮するのです。

そのキーワード「復縁」は、「カルピスのシャーベット」へと繋がっていきます。

良多が実家へ帰ると、母が冷蔵庫からコップに入ったカチン・カチンの「カルピスのシャーベット」を出して、二人で食べるシーンがありました。

ご存じのようにカルピスの宣伝文句は「初恋の味」。そのカチン・カチンをスプーンで一所懸命に叩き、削り、少しづつ口に運ぶ親子。

あれは「親子そろっての口説き行為であり、復縁への努力」を記号化したものでしょう。この映画も「101回目のプロポーズ」みたいな、「復縁ターミネイター」だったのかもしれません。一見、文芸作品みたいですが。

追記Ⅵ ( 息子の文才 ) 
2016/6/5 10:44 by さくらんぼ

良多は「作家として成功する」という大きな夢を追いかけています。元妻は「現実的な生活」という小さな夢を追いかけています。

そんなとき、息子にも文才がありそうだと分かりました。良多と元妻は息子の将来に夢をはせます。息子に「作家として成功する」という夢を見るのです。

でも、それは「良多の夢を否定することと矛盾」します。「さあ、どうする妻よ」。ここに「子はカスガイ」が見えました。

追記Ⅶ ( 救世主 ) 
2016/6/5 11:03 by さくらんぼ

孫から「宝くじが当たったら、家を建てて、おばあちゃんも一緒に暮らそう」と言われた良多の母は、微笑みながら、涙ぐみました。

涙の意味は複雑ですが、大別すると「夢を見る喜び」と、「現実を知る哀しみ」の涙でしょう。おばあちゃんは、その両方を知っていました。

そのおばあちゃんの手腕が限界に近づいた時、救世主として降臨したのが、「文才を持った孫」だったのかも。

追記Ⅷ ( 現実的な復縁の妥協点 ) 
2016/6/5 11:11 by さくらんぼ

夢を見ることは息子に譲り、父は息子を指導することに路線をシフトし、作家の夢は棚上げにして、就職活動に本腰を上げる。

現実的な復縁の妥協点は、このあたりかもしれませんね。


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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