談話(仮) Vol.3

※以下のやりとりは2021年8月某日、zoomにて行われました。

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プロフィール

K
千葉県、団体職員。
近年のテイクアウト文化に新鮮さを感じている30代男性。
N
クルーネックのスウェットを買い集めたいと思ってる。あとパジャマも。

生のリスク

K:今回の大枠だけ教えてもらっていいですか。

N:大枠はないね……。あの、救急車が全然来ないっていう話あるじゃないですか。千葉はどうなんですか。

K:千葉県だともうかなり病床がきつくて、もう運べないっていう話。

N:それは東京もそうなんだけど。

K:よく職場の前を救急車が通るなとは思うけど、コロナかどうかわからないからね。

N:でもまぁ、コロナじゃなくて普通のけがや病気でも搬送できないっていう状況じゃない。東京は危うい感じする。妊婦さんの話は……。

K:あれは千葉だよ。

K:身近にコロナかかった人がいなくて。

N:おれもいない。

K:実感がわかないっていうか。確実にいるんだけど。

N:逆に自分がかかってんのかもしれないけど。
今、普通じゃない状況があるけど、結局基本的には自由じゃん、なにしようが。外出ようがどこ行こうが。おれも別ににそうだなと思う。
リスクの問題があるんだけど、でも、コロナがあるまえから起こる可能性があったわけじゃん。交通事故とか、こないだの小田急の電車のこととか。
硫酸の事件とか、すごいけど…全然関係ないけど、三四郎のネタで硫酸ぶっかけてやる、みたいなネタがあるけど。

K:小宮がいうんだ。

N:小宮がいうやつ。

K:しかし白金高輪っていうのがね。前に明治学院行ったよね。

N:まぁ、そういうの。コロナだけじゃないと。
もともと、リスクを抱えてみんな生きてたわけ。そういう意味では、リスクが顕在化っていうか、よりはっきり目に見えるようになったというか。
今まではなんとなく、まさか自分がそういう目にあわないだろうと思ってたけど、今は自分もそういう目にあうかも、というのが、感染するかも、という形で明確になってきた。
で、そもそも潜在的にあったリスクに対するフォロー、リカバリーがあった。自由に対しての支えみたいにあったけど、今はそれすらも危うくなってきた。
でも、リスクが高まってるとは思わないけど。生にあるリスクは変わらない。一分一秒どうなるかわからない、ということが明確になってきた感はある。

K:もうすでに死ぬ可能性が存在してる。

N:そこでどう生きていくか、っていったらあれだけど。

批判と判断

K:話変わっちゃうんだけど、報道見てて、菅内閣について、コロナをおさえられないのは政策が悪いっていう批判があった。

N:法政出身の唯一の総理大臣だから。

K:学費が安いって入ったんだから。…で、政治やメディアに対する批判精神みたいなものって大事なんだけど。

N:メディアリテラシー的な。

K:報道でやってる通り、批判するのは正しいけど、そもそもコロナって、自民党が悪いのかね、っていう。

N:まぁね。

K:何か都合の悪いことが起こると、何かの責任にする。これって菅さんじゃなくて、石破さんだったらおさまってるのか。別に関係なくないっすか。
総理大臣変わってもおさまらない。政策は政策。
自分でどう行動したらいいかをまず考えてみる。
マスク外して顔つきあわてメシを食うのをやめてみるとか。自分で考えてやばそうだなって思うことをやめてみる。自分で考えられませんか?って話で。

N:誰かに言われてじゃなくて。

K:都合の悪いことを誰かのせいにしてるとしか思えない。コロナが流行ってるのは政治が悪いの?
あと、歌舞伎町の様子とかテレビに出すじゃん。ハチ公の前でインタビューするとか。そこにいるやつに聞いてもしょうがなくない?っていう。自分で判断しないと。
政治って数で見るじゃん。かけがえのない「一」っていうか、ひとりひとりで見ないじゃん。
イスラム国がアフガニスタン攻めて、アメリカ人80何名死んだけど、名前は出ないじゃん。
数が大事じゃん。政治のやり方ってそうなんだよね。
今こそ判断する、頭のいい国民になってみませんかっていう。ひきこもるっていう判断するのもいいし。
知り合いがホテルで働いてるんだけど、部屋をコロナの療養で貸すと高いお金払ってくれるらしい。

N:やっぱりそうなんだ。そういう金は惜しまないんだね。

K:でも閉める支店?もあるって。作りすぎたから。

N:インバウンドを見越してでしょ。オリンピックがあるから増やした。

K:とある情報筋で……。

N:出た。

K:信頼できる情報筋によると、5年後に新型が……。

N:え?おさまるとか希望に満ちた話じゃなくて?

K:同じようなやつがくる。変異種なんだろうけど。よりつえーやつがくる。それ聞いた時すぐにマスクを大量買いしましたけど。

N:そのレベルじゃないだろ。

K:まぁ、考えるいい機会じゃない。

N:考えてくれればいいけどね。

K:相変わらず報道ステーションとか見てますけど、おんなじことしかやらない。変な評論家が出てきて、菅政権どうのこうのって。

N:こないだ久々記者会見の映像ちゃんと見たけどさ、記者からの一個めの質問はちゃんと聞いてる顔してたけど、二つ目の質問は顔やばかったもん。わかんないって顔してた。

K:とけてたよね。

N:まあそれはおれもそうだから。二個めを積み重ねられたら「は?」って顔になってた。やばいよな。恥ずかしいかもしれないけどちゃんとメモとれって思った。

K:そのほうがかえって誠実さが伝わる。

N:メモとる政治家いないよね。とったらいいのに。だからすっとんきょうな変な答えしちゃう。

K:聞いてることも答えてることも全部紋切り型だよね。

N:紋切り型しか許されないからね、あの空間は。

K:びっくりしたのは参議院の企画院?だかなんだか、公式文章が出てるんだけど、そこに、民主主義っていうのは、国民の声が届いているって信じる、フィクションだからって書いてあって。
議会制民主主義、国民の代表として選ばれた人々による間接民主制、というフィクションをみんなで信じあうのが民主主義なんですっていう。
議員ていうのは表象じゃん。「私」が選ぶリプレゼンテーション。
それはフィクションです、一応そういうことにしておきましょう、みんな信じましょう、って権力者が言っちゃってる。
政治家を信じる信じないじゃなくて、フィクションなんだっていうか、その中でしか我々は生きられない。
さすがにそれは自分たちで判断しないと、国民として生きさせられて、っていうか……。
生のリスクの話から離れちゃってるんだけど……。
考えるってことは、与えられた情報の中で、自分で判断して行動するってことで……。
その中でコロナにかかっちゃったら……助けてほしい。

N:急に言い出した(笑)。

K:それが国家ってことで。

本音と建前

K:極端な言い方になるけど、なんにも考えてないやつはどうなってもしょうがないと思いますよ。
そういう人も助けないといけないのが国家だけど。安倍さんが選挙の時に「こういう人」って言ったけど、そういう人も助けないといけないんですよ、あなたが。

N:ある意味建前なし、本音で喋ってるんだよね。

K:支持してくれる人は守るけど、支持しない人はどうなってもいいっていうことだからね、あれは。

N:今の話でいうと、建前がなくなって、本音で考え行動する時代になったのかな。むきだしだよね。
人間ってフィクションがないと生きられないんだよ。間接的なこととか、代表制とか、物語とか、代理として動く仕組みがないと。
間接性の中でしか人間は生きられない。それがなんでなのかってのは難しい問題かもしれないけど。
人間の歴史がそうだから。そういうのがないと、建前がないと、本音でぶつかると滅ぶしかないから。
滅ばないように間接性がある、そういう仕組みが必要、民主主義も必要、なのかも。
利害がぶつかりあっちゃうときにステイするために、西欧のそういう文化があるわけでしょ。利害関係者がぶつかりあって滅ぶっていう状況を防ぐために。代表者を出して、多数決で、いろんな仕組みで、平穏無事にみんなで暮らそう。
でもむき出しの本音で、元も子もない、それをいっちゃあおしまいよ、っていう、今はそういう時代だと思う。トランプとかね。
みんな我慢してたんだよ。代理性とかそういうのって、誰かがやっぱ我慢しなきゃだめだった。
自分の意見をちょっと減らして、まぁ大体同じにして、誰かに委ねて、100%同じはいないけど、で、それをずっとやってたら、まじで自分たちと全然関係ねーのが出てきて、害をなす人しかいないように見えて、みたいな。

K:もともと一致はし得ないからね。

N:近いところを狙ってたけど、近い人がいなくなってきた時代。

K:そうかもしれん。

N:トランプとか、本音でおれの100%同じでいってくれてるっていう。

K:トランプの方法って頭いい。99%の人はなに言ってんのっていう意見を言う。1%の人が熱狂的に支持する、その様子を見せる。

N:極端なこといったもん勝ち。デマとか陰謀論とかもそうだもんね。ありえねーってことをとりあえずいっちゃえば。

K:その方がものすごい支持者が凝縮する。

N:しかもその内容って、おれらからしても、そうであったらいいな、ってことだったりするわけじゃん。
でもそれって、結局滅ぼしあいにしかならない内容であって。自分も誰かからやられたらやばいこととか。
…でもこの理屈じゃなくて、もっと強固な理屈で否定しなきゃだめだけど。でもまぁ、簡易なレベルで否定するとこういうことで。
そういうことをいってくれる人が大統領に、総理大臣になったら、みんな支持しちゃう。

排除の論理

K:結局排除の論理じゃん。入管で亡くなった女性いるじゃん。それもそうだよね。
外国の人だから関係ないとか思っても、いつ自分たちが排除される側になるかわからない
この国は排除した人を殺す国なのかな。こわい。

N:実績が残っちゃったわけだよね。しかもやってるのは半グレの人たちとかじゃない、公共機関がやってるからね。

K:権力の笠に隠れたやつら……この恐怖の感覚が正しいのかわからないけど。

N:ホームレスの人たちの話もそうだし。

K:ハンセン病の話とか。隠されちゃうわけじゃん。
コロナもさ、ワクチン打った人打たない人とか、死ぬリスクの他に、排除されるリスクがある。

N:それが怖いからから打つ。

K:知り合いで打たないって人は、あんなわけわかんないもの体に入れたくないとか言ってる。

N:もっとわけわかんないもの入れてるだろとは思うが。
でもその話も尊重すべき。おれもわけわかんないと思ってやってるよ、正直。100%理解してやってない。
でもそれは、大前提として、ホリエモンとかは違うかもしれないけど、自分がやってること、決断してることの大多数はわけわかんないことなんじゃないの。決断ってそういうレベル。まぁこれは自分を擁護してるわけだけど。
あと、自分はどうでもいいんだけど、これって人にうつすじゃん。
打たなくていいんだけど、誰とも接さないで、他の人間と誰とも会わないってできないから、結果的に他人にリスクを与えてることになる。
でもこれもつきつめていくと、コロナと関係なくみんなやってる、大きく言えば。
車を運転してる人も、医者も、人間の考え方を変える教師も、誰かと誰かが会うことって自体がお互いにリスクを高めあってるってこと、それが社会生活を営むってこと
ワクチン打たないって決断をした人が他の人より特別リスクを与えるかっていうと、疫学的?とかではそうなんだろうけど、でも、同じだろと。
人は人にリスクを負わせてる。自分も誰かにリスクをはらませている。
全体の、大きい数字で見たら、違いはあるけど。統計とかね。要するに全然別の理屈。
今は非常事態だから、統計とか疫学で物事を考えないといけないけど、っていう時代になったというか。
さっきあなたがいった、大きな数字で見なきゃいけない時代。何万人、何億人を救うために、その中の死者を減らすために、数字上の理屈で行動して、ってのを求めてる。
求められて多くの人が従ってる。でも、従わないっていうのも、全体の数字じゃない、個の考え方ではありうる。
そういいやつをきもいな、っていうのもありうる。でもみんなで一斉に仲間外れにするってのも違う。

K:うまく言えないけど、排除される側にならないために、時には不本意ながら、リスクを軽減する方法をとるわけだけど、本来は、排除される側になったとしても、それでも救われなきゃならない、救わなきゃならない

N:近代っていう時代はそういう時代でしょ。

K:国民になってもらうってのはそういうこと。
リンカーンじゃないけど、近代国民国家にとっての消費者になってくださいという。我々は同じですよね、という。

N:均一化されていく。

構図と、そこからの脱出

K:A対Bという構図なら大丈夫。こっからもれるっていうのが、近代国家においてはアウトになってしまってる

N:それが排除の理屈なんだよね。

K:反自民なんてのもその構図の中でしかない。でもそうじゃない、それこそ移民の人たちとか。
最近は難民ってやべーんだなという。あれこそ近代国民国家がつくったものなんだという。

N:枠を作って、そこから……。

K:もれちゃったら、難民としましょうという。

N:すごい発想だよね。

K:助けないんだ!?という。生み出してしまった者に対して責任取らないのか?っていう。まじかーっていう。いつ自分がそうなるかわからないぞっていう。

N:実践的に考えていったら、A対Bの構図から脱出していく、ていうのが良いのかと。
人類全体、世界全体を考えていったときに、構図ができたらそこからそこから出ていこうとしないと、人類は次の良い時代にいけないというか。

K:それこそA対Bってのもフィクションじゃん。そこの枠ぐみを疑うっていう。

N:アナキストはノンフィクションなのかもしれないね。実践主義っていう。
警察とかいらないんですかっていう問いに対して、いらないんですよ、みんなで自治をしていけば、ミニマル?ミニマム?な仕組みで、銀行とかいらないっていう。
現実どうなるかはおいておくとして。

K:でも警察はいてほしいけどなー。〇〇会とかいるじゃん。でもあの人たちだって、この社会が生み出したものじゃん。

N:だから存在を擁護しなきゃいけないものかもね。

K:しかたなく犯罪をしてるかもしれない。

N:法律によって先鋭化するというやつ。

K:素人に手を出さなくてよかったのに、今は生きてくためにやるしかない的な。にしてはやりすぎかー。

N:めっちゃ興味持ってるね。

K:飲み屋に手榴弾はだめだよね。
生のリスクを低くするためには大きな仕組みに組み込まれなきゃいけない。でもっていう、こと。

N:組み込まれてリスクを減らすっていう考えは否定できないよ。
で、ワクチン打たないって人がいたとして、重症化して、めちゃくちゃつらい、打っときゃよかったって思うはず、でもめちゃくちゃつらい苦痛に置かれても、おれの考え方は間違ってない、って人がいたらほんもんだよ。
命がかかった瞬間に変わっちゃうんじゃないの、普通は。
苦痛ってのも人間が排除してきた部分、社会の暗さの一つで、それをあえて受け入れる、というのも一つの考えとして間違ってない。
けどそれを我慢できる人類っているのかっていう。宗教家の人?即身仏とかやる人?

K:修行僧のレベル。

N:トランプもワクチン打てって言ってる。てかあいつがそんな我慢できるわけないね。

K:パフォーマーだからね。

N:ただ、反ワクチンの陰謀論で儲けてるやつがいるんだよ。

K:千葉市長選あった時、ワクチンは毒です、とかいうやついた。そういうやつもいてもいい。

N:いてもいいんだけど、自分だけが打たないなら別にいいけど、人の命を左右するからな……。

K:あと、いままでの議論を台無しにするようだけど、そういうこと言う人なんかきもちわるい。

N:だからきもいっていうのも自由だから、言ってもいいのよ。

(次回のテーマは未定です)

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