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諦めてしまえと言われる狭間で

こんにちは☀お久しぶりです。

いつのまにか、時間が空いてしまいました。思わぬことがあったり、やりたいことの準備をしていたり、そんなことをしているうち、気づけば、もう桜は散っていました……(*´σー`)

でも、日々、変化していく花々の写真は、きちんと撮影したので大丈夫!思い出はちゃんと残してあります。

タイトルの「諦めてしまえと言われる」、というのは、誰かが青空に対し、言った言葉ではなく、私の中にいるもう一人の青空が青空に対して、言っている言葉です。

人との信頼が壊れたり、失われると、人間の信じ方がわからなくなります。自分自身に悪い部分や落ち度がないのなら、尚更、そんな思いに駆られてしまいます。

「今までどうやって人を信じていたっけ? 以前の私は、どんなふうにして生きていたっけ?」

そんな堂々巡りの思いが生まれると、自分の中にいるもう一人の自分が偉そうに言うのです。「人を信じることを諦めてしまえ。そうすりゃ、一番楽だ。信じたって、どうせ、何かが返ってくるわけじゃあるまいし。無駄だよ」。

思わず、頷きそうになる。けれど、まだしがみつく。そうすると、またもう一人の自分が言うのです。「人を切り捨てること、別の世界で生きていくことも、人生には必要なんだよ。諦めて、別の生き方を選びな」。

「そうだよね」と納得してしまう自分が悲しくて、寂しくて、とにかく、やりきれない。

そんな日々を過ごしていたある日のこと。私がとあるイベントを主催していたら、まさか来てくれると思っていなかった人々が私のイベントに訪れてくれたのです。

素直に嬉しかったのです。私が今いる世界で出会ってきた人たちとの「繋がり」が、生きていたからです。コロナ禍で、お互いがどんな暮らしをしているのかわからない状態なのに、そんな中でも来てくれたのが、嬉しかったのです。

私は、「諦めてしまえ」と唱えるもう一人の自分に言いました。

「あなたの言うことはよくわかる。諦めてしまったほうが、人に期待をせずに済むでしょう。傷つくこともないでしょう。悩む回数も減るでしょう。けれど、昔の私を抱きしめてあげられるぐらい強い気持ちを持てたのは、紛れもなく、この世界で得た“繋がり”があったおかげなのです」。

そう言われ、もう一人の自分は、まだブツブツ言っていますし、恨めしそうな視線をこちらに向けています(;^_^A

それでも、私は、「諦めたくない、諦めてしまいたくない」と強く思いました。

人によって失った心は、人によって回復する、それをまた身をもって体験した出来事でした。

人生、もう少し、もう少しと思いながら生きてみないと、わからないことがたくさんありますね。


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