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介護のイメージ


介護を全くしたことがない人が、抱くイメージとはどんなものなんでしょうか。皆さんの中にもきっと、漠然としたイメージがあるのではないかと思います。
私自身はというと、中学生の時に90歳の男女の現実を目の当たりにしました。認知症という、昔でいうところの「痴呆」にかかっているかいないかは抜きにしても、90歳の男性、女性について、きちんと知ることができるチャンスに恵まれていた私はラッキーなのだと思います。


実の祖父は私がまだ赤ん坊の頃に亡くなってしまい、また養祖母さんに至っては、かなりひどい認知症だったようで、私がまだ幼稚園の頃にベッドから自分で飛降りて亡くなってしまいました。
そして、養祖母が亡くなって養祖父は一人暮らしでしたが、こちらもかなりの度合いの認知症だったみたいです。長谷川式スケールなんて全くしてなかったんじゃないかなと。在宅介護を外に頼むなんて、まだ一般的ではなかった時代でしたね。
それで、少しは実の祖母が養祖父の面倒をみていたようですが、どうしようもない状態になってきたらしく、私と母が住み込むことになりました。
とはいえ、認知症でもまだそこまでひどい状態ではなく、買い物に行っても帰ってこれるぐらいしっかりしていました。
ただ一つ問題だったのが、便問題でした。

とにかく、自分で出たか出てないかが分からないのです。出ていてもそれを変えることさえプライドが許せないので拒みます。部屋の床に塗りたくられているそれを、母親は仕事から帰ってきてから掃除していました。
私は反抗期だったのでなにも手伝えませんでしたし、部活と勉強だけで精いっぱいでしたが、その光景は今もよく覚えています。

しばらくして、家を介護しやすいようにするため、建て替え中
養祖父は千葉のはずれの老人ホームに入りました。
たくさんならんだベッドとサイドテーブルの仕切りは薄いカーテンのみ。
そして、四点柵と、綿の白い帯のようなもので両手を縛られている養祖父。
悲しそうな声で母親の名前を呼んでいるが、なぜそのように縛られているのかは、一緒に住んでいた頃の様子を想像すれば、中学生の自分でも容易に理解できた。これは虐待とは違う。養祖母のように頭蓋骨を割るようなことにならないなら、必要なことなんだ、と。

看護師さんらしき人は私たちのような家族にはとても優しくて、笑顔。見た目も清潔感のあるスタイル。母親のほうがそこに安らぎを得ているような感じでした。
ほかの入所者のことなんて全く記憶にはないけど、そのベッドが並んでいる異様な光景を、ただ私はあるがまま見て、そういう世界があると認識するだけで精いっぱいでした。

そんな風にして私の介護のイメージは構築されていくのです。


近所に住んでいた実の祖母はシングルマザーでもある実の娘に
いくら養子に行ったとはいえ、旦那の弟を介護させている負い目を感じて
たくさん援助していた様子です。そんなこと、私は全く感じていませんでしたが・・・
そんなふうにして、自分は守られていたんだなぁ、、、と。

で、叔母の家にみんなで泊まりに行ったとき、祖母と一緒にお風呂に入りました。介護とかではないけれど、祖母の頭と身体を洗う体験も中学生の時にしたわけです。自分のことをしっかり行えている、と自負している祖母のおしりにティッシュペーパーがついているのを見て、これが高齢者なのだ、と実感したのを、中学生の時に経験したわけです。

養祖父母とは相反して「自分の世話はすべて自分で行う」がポリシーだった祖母は、嫁さんが作ってくれる食事には一切手を付けず、三世帯住宅の六畳一間の部屋に籠っていました。時々私が行くと色々出してくれ、一緒に相撲を見る時間にホッとしていました。
そして建て替えが終わる前に養祖父は亡くなり、それから一年経たず祖母は、家族から一切介護を受けず、体調がおかしくなって入院してそして数日、あっと言う間に老衰で亡くなりました。

思えば、祖母の生き方と養祖父母の生き方。相反している三人の高齢者の生き様は、私の今の介護士としての在り方にとても深く関係していることを改めて感じています。

もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)