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不条理を生み出しながら生きる私達。

私は介護の仕事をしていましたが
実生活のなかで
身近な人の介護を
目の当たりにした事もあります。

実際、その光景は
当時10代の私には
あまりに衝撃的でした。

そうしたものが全てではないんですが、
それらを抜きにして

認知症や、介護というものを
美化しようとすることに
嫌悪感がでます。

それは、当事者個々の人生の問題なので
大なり小なり変わると思いますが

実際、仕事で沢山の方に出会ってきて
やはり1番大きな問題を
放置していることは大きいと感じます。


認知症当事者の方々の

私はこう生きています😄

もちろんそれを無下にするような人達は
いないです。
それはたしかに
素晴らしいものだと思うのです。

昨今のメディアの悪いところは
良い部分しか報じないところ。
そして周りはそうした人を
利用しているところ。

利用される側、する側
双方の間には
たしかに問題はないかもしれません。

ここ数年で
認知症に対する認識は
あまりに変化したと思います。

だけど

1番の問題を放置して
見て見ぬふりをして

良い部分ばかりが
もてはやされている。

この不条理は

大人が生み出しているんですよ。


それに気付いたところで
私はただ自分の無力さを感じています。


声なき声を感じるとて
何ができるのか
何をしたらいいのか
わからないから問題なのであり

何もしないことがいいのか
或いはすることが正義だという人もいて

そんな人達は
その人を持ち上げるだけ持ち上げ
利用していたり

ただただ与えられるものを
とにかく与えることが
ベストなのか

とにかく本質から目を背けるやりようは
果てしなく多くて

これは本当に深い問題だと私は思います。

生まれてくる命を大切にするということを
私達は何も学ばずに
歳を重ねているような気がする。

スピリチュアル的なものも
確かに存在して
魂のこえを聴くことは大きいとして

ただ
肉体と魂を別に考えることも
なんか違う気がする。


私の主人は
難病があります。

私が主人の尊敬するところは
日々淡々と
生きているところです。
そしてその命が
ほんのわずかでも
誰かのためになるように
淡々と生きているところです。

その姿は
いつも私の太陽のようです。

本当の太陽は
自分で、自分は太陽だと
絶対に言いません。

私はそうした生き方に
人となり
魂としても
学ばせてもらうばかりです。


もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)