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第1章 その②

~耐えて耐えきった小学校編~

勉強はまあまあ、友達もいたけれど、先生との相性はあんまり良くなかった。特に小学3・4生の担任とは最悪だった。
 
ある時、自分ともう一人の友達と、毎日毎日怒られていた。
図工の教科書を忘れてしまって、教科書を忘れること自体初めてだったのに、わざわざ席まで怒りにきて、最終的にビンタされちゃったんだよ。
 
人前で泣きじゃくることは、小学生になってからはあまりなかったのに、流石にあの時は泣いてしまったんだ。…というより、あの先生は泣くまで怒り続けたんだろうな、きっと。
 
 
なんで先生が生徒をいじめるの?
でも、こういう感じのケースは今も昔も、意外と多いのかな…。
 
私には、大人が子どもをいじめて何が楽しいのか、さっぱり分からない。
他の生徒を巻き込んでケラケラ笑って、からかったり、意味の無い説教を延々としたり…。
 
学校なんてオバケにおそわれちゃえばいいのにと、いつも思っていたよ。
 
 
5年生の時だけは夢のように楽しかったなぁ。
女子とはなんとなく遊べなくなってきて、お昼休みに男子と一緒になってベーゴマで対戦していたんだ。
 
その遊ぶための台を作ってくれた先生が、勉強以外のこともたくさん教えてくれて、先生のことが大好きだったんだ。
 
先生は社会科見学でいろんなところにつれていってくれた。
それまで知らなかったんだけど、社会科見学の場所は先生が必死に申し込んでくれるんだね。
車の工場に行ったときは、工場の中に車のドアがズラッと並んでいて、機械が動く時は大きな音で音楽が流れたんだよ。びっくりした!
 
工場の敷地内の芝生の上でお弁当や、おやつを食べて、食べているところを写真に撮られしまって、恥ずかしがっていたり!
 
ホ〇ダのエンジンは優れている!て言って、息子さんのレーシングカーを3階まで持ってきて見せてくれたんだよ。
どうやって運んだんだろう!
 
トイレでよく見かけるあの会社。
元々は陶器屋さんだったんだって。
 
先生は休み時間にギターを弾いて歌ってくれたり、男子を集めてオルガンで歌のレッスンもしてくれたんだ。
 
理科準備室に眠っていた天体望遠鏡で、新月の日に「月」を見せてくれたこともあったなぁ。
クレーターがはっきり見えたのを覚えています。
月にはうさぎが住んでるって、小さい頃幼稚園の先生から聞いて、信じてたけど、いなかったなぁ!
 
石油ストーブの灯油の補充もやらせてくれたよ。
石油がこぼれると爆発する!んじゃないかと思っていたから、そーっとそーっと、注油したよ。
 
1学期に大きなバケツに田植えをして、夏休みに稲刈りもした。
作ったお米を食べたらよかったのに、自分で作ったお米をずっと見ていたくて、精米しないでずっと持ってた…あれ、どこ行ったろう?
 
先生は学校の敷地内にあるキウイの人工受粉も一人でやっていたんだよ。実がなるのを楽しみにしていたのに、遊びに夢中で、最終的に実がなったのか見忘れた!なんてこった!!
 
そんな大好きな先生が、たった1年間で異動になってしまったんだ。
 
なんでだ!なんでだ!一緒に卒業したかったのに。
初めて学校が楽しいと思えた私の1年は、こうして終わってしまった。
 
6年生になると、女子の友達は本当にわずかになった。
大人びたコが、ちょっとした私の過ちを指摘して、いちいち先生に言いつけに行くんだ。
私はその度に先生から、長―い説教を受けて、幼いころからのイライラの種がまた、くすぶり始めてしまった。
 
でも、4年生から入った金管部には熱を注いだ。
トロンボーンがやりたい!って先生に提出したんだけど、与えられたのは「アルトホルン」。
運動会ではパレード、地区の大会では3年間優勝した。
 
4年生のある日、オランダのオーケストラで活躍している、この学校を卒業した方が、学校の体育館で「ホルン」を吹いてくれた。
本物のホルンの後に、長―いゴムホースと、大きなじょうごで「ゾウさん」を吹いてくれたのがたまらなく面白かった。
本物のホルンは、「なんてまろやかな音色なんだろう!!」と感動して、いつか、「私もホルンを吹いてみたい」と思いました。
 
それからというもの、楽器屋さんに行っては「ホルン」のカタログをもらってきて、家で眺めていました。
 
そして中学受験をして、合格したら「ホルン」を買ってくれる、という約束で…、GETしました!
 
中学に行ったら新しい友だち、先生、部活、それに「ホルン」。
中学校生活が楽しみで楽しみで、たまりませんでした。


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