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その棒は前後に動きつづける

今日からわたしに与えられた個人識別番号は、『大型44』である。

思えば高校に入学した日、ずらりと並んだ新入生名簿の上で自分の氏名を見つけたのは、『1年10組44番』の位置だった。今日まで意識したことなどなかったが、44という数字にはなにかしらの縁があるらしい。安易に「しあわせ」だなんて語呂合わせしたら、もともとあまり活発じゃないクリエイティブ細胞が死滅してしまいそうだ。

大型44の使命はといえば、自動車の大型一種免許を取得することにある。同じ自動車教習所に同じ目的で入所した人間が、わたしの前に43人いたことがうかがえる、明朗な番号振り分けシステム。スリザリンは嫌だとか緊張せずに済んでよかった。

しかしグリフィンドールだろうがハッフルパフだろうがスリザリンだろうが、大型免許を取得したい新入生がかならずパスせねばならないのが『シン・シリョクケンサ』である。ハリー・ポッター路線でいくはずが、ゴジラとエヴァっぽさも出てきた。

『シン・シリョクケンサ』の”シリョクケンサ”部分が『視力検査』だとするならば、その前につく”シン”って何? 『新』なら、もうあの「C」の開口部の向きを口頭で答える必要がなさそう。手持ちの海賊眼帯みたいなアレも廃止。画期的だ。『心』なら、あなたの心の目でわたしの心を透かして視てほしいし、『深』なら、棒が前後に動き出す。

そう、『深視力検査』は、前後に動く棒の動きを止めるのである。は?

見知らぬ天井の木目を眺めて、ひたすらあみだくじしてみるくらいしかやることがない方はぜひ、動画検索してみてほしい。ざっくり説明すると、3本の棒が横一列に立っており、両端の2本は動かないのだが、中央の1本だけが前後に移動する。その中央の棒が両端の棒と一直線に並ぶ位置にきたとき、ボタンを押して動きを止める。それを3回繰り返し、その平均誤差が2cm以内であれば合格。そんな検査を受ける。

これに挑んだ大型44。じつは、進化前の中型19時代にも同じ検査を受け、おのれの才能のなさに打ちのめされていた。

( ↑このとき、大型教習用トラックの大きさにビビり、こんなの絶対無理だよと中型免許に切り替えたわたし超かわいくない?)

苦手というよりもはや相当嫌っているではないか。今日もやはり気が進まなかったが、この関門を越えないかぎり次へは進めず、大型44はこの教習所の落第生となってしまう。逃げちゃダメだ。

棒が動き出す。前後に、ゆっくりと移動している。だが大型44にはその動きの変化がわからない。見えない。目標をセンターに入れてスイッチを押す準備はできている。目標の遠近感が掴めない。棒は一定のリズムで前後に動き続けている。あ、たぶんそこ。

「ぴったりです」と、メガネのお兄さんが言う。ぴったり、だね。

まだ棒は動いている。相変わらず感覚はない。本当に動いているかどうかさえ疑問だ。もしかして、動きが速すぎて逆にゆっくり見えるあの現象が起きているのではないだろうか。もし仮にそうだとしても、結局のところ大型44には察知不可能だ。あれおかしいな。棒が5本にも6本にも見える。増えるとは聞いてない。もうだめ。

「いちばん奥です」と、メガネのお兄さんは顔色を変えずに言う。奥。

「あの、棒って増えてないですか?」「増えてません」

棒という概念を考える。線でも球でもない、棒。この世は棒に支配されている。どうしてそんなことに気づかず今日までぼけっと生きてきてしまったんだろう。人間が棒を操っているのではない。人間が棒に踊らされているんだ。いま、人類は棒に立ち向かわなければならない。その時がきたんだ。わたしは、いや、もう昨日までのわたしとはちがう。大型44として、大型44の使命を全うする。人類を、地球を、この宇宙を守るため、大型44はこの棒を止めなきゃならないんだ!!

「いちばん手前です」が鼓膜内の宇宙をいつまでも漂う。薄暗い資料室で、お兄さんのメガネだけが鈍く光った。大型44が見つめる先にある、その棒は前後に動きつづけていた。

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