見出し画像

3月7日

2022年3月7日。
あれからちょうど1年が経った。

チャーとはもう1年も会っていないことになる。それでも不思議と抉られるような喪失感に襲われず済んだのは、チャーが生きている間に彼とそれなりに良好な関係を築けたからじゃないかと思う。

チャーの正式な名前はチャッピーで、クリーム色をしたスムースコートのチワワである。うちへやってきたとき彼はすでにチャッピーと名付けられていたので、それをベースに家族からチャーちゃんやらチャピ原チャピ蔵やらと好き勝手に呼ばれ、最終的にはチャーで落ち着いていた。

大阪で生まれた彼は国道に面した住宅で暮らしていたが、玄関ドアを開けると外へ飛び出してしまう好奇心旺盛な性分が飼い主を悩ませ、横浜のお宅へ養子に出されたらしい。

引き取られた先の横浜は都会がゆえ舗装路の表面温度が高温になり、チャーは散歩中に何度か肉球をやけどしたという。それを一因としてまた養子に出されることとなった。そして我が家へとやってきて、14年間、うちの子として過ごしてもらった。

じつは「行くあてのないチワワをもらってくれませんか?」と知人から何度も連絡を受けた父は、そのたびに断っていたそうだ。当時の父は、家の中で動物とともに暮らすことがどうしても受け入れ難かったらしく、後輩の斎藤くんをチワワのもらい手として確保していた。われわれ家族も「ふーん、斎藤くんちで飼われるんだよかったね」くらいの気持ちで、父の決定になんら異論や不満はなかった。

そしていざ、チワワ来たる。あの日の光景はいまでも忘れない。

ゲージに入れられた、想像していたよりもふた周りほど小さい震えるチワワ。母と、妹と、たまたま遊びにきていた妹の友人もっさんと、私は、一瞬にして心を奪われてしまった。いまでは動物愛護の観点から時代にそぐわなくなった、某消費者金融のコマーシャルそのものだった。

斎藤くんちの子になるんだからダメだよと、おのおのが自分に言い聞かせる。出会ったばかりなのに、別れを想像するともうすでにつらい。かわいそうなチワワは、とびきりかわいかった。

「うちで飼うか」。

あれほど断っていた父が切り出して、チャーはうちの子になった。斎藤くんはどうしたのかというと、ここに挿入すると本編を凌ぎかねないレベルのエピソードがあるので、またの機会にスピンオフとして書くことにする。とにかくこれが我が家とチャーの、最初の1日だった。

人間が誕生してから中二病にかかるまで14年とすれば、その間にはいいこともそうでないことも数えきれないほど起こる。そのどちらでもない、淡々としたなにもない日々がうんざりするほど繋がって歳月は積もっていく。けれどもそれは決して不幸や退屈なんかじゃなく、むしろ愛しい暮らしだ。チャーとの日々も例外ではなかった。

チャーは恵比寿ガーデンプレイスを颯爽と歩くのが得意だったし、悪性腫瘍の摘出で入院したときもご飯だけはモリモリ食べたけれど、それらはチャーの人生のなかでもとりわけ濃い色が塗られた部分であって、そのまわりにある大部分に、陽の当たる和室に寝転がっていびきをかくようなただの日常があった。

チャーはその小さい体からは想像がつかないほど気が強いやつで、家族にもお腹は絶対に見せなかったし、気に入らないことをされれば容赦なく噛んだ。

それでも私が自室で寝るためリビングを出れば「一緒に連れていけ」の意味で階段をカリカリと引っかき、朝は私が下りてくるまで必ず階段の下で待っていた。不器用だけど可愛げのあるやつだった。

最初の1日より最後の1日のほうが鮮明なのは、できごとの順番が現在に近いからという単純な理由だけではないような気がする。死は、必ずなにかを置き去りにしていく。

亡くなる3日ほど前から自力で立ち上がることはおろか、ドッグフードを食べることも、まぶたを閉じることもできないままで、寝ているのか起きているのかも私には感じ取れなくなった。一度そんな状態に陥ると、われわれの願いとは裏腹に回復の兆しがじわじわ遠ざかっていくのが手にとるようにわかった。

呼吸は浅く速く、体毛はじっとりと湿り、抱いた体は私の知っているチャーじゃないのではと思うほどに冷たい。かかりつけの動物病院に相談すると、獣医から「いま挙げられる選択肢は、最期の瞬間を病院で過ごさせるか、おうちにするかだけです。残念ですが」と告げられた。

後者を選択したわれわれは、その瞬間に備えながら最後の晩を迎えた。ふだんはなかなか揃わない家族が全員揃って、それぞれがチャーを気にかけながら眠りにつく。私はリビングに布団を敷き、チャーを腕枕する体勢で中島らもの『永遠も半ばを過ぎて』を読んでいた。

時折、呼吸が苦しいのかチャーは前後の脚をバタバタと動かす。チャーを抱き上げて、私の胸の上に寝かせる。抱き上げた感触は、書類が1枚も綴じられていないキングジムのファイルみたいだった。チャーの呼吸音がいくらか落ち着いた寝息に変わったのを確認して、混沌をきわめる写植の文章をずんずん追っていく。最後に時刻を確認したのは、午前3時半だった。

何度も繰り返し力強く胸を引っかかれて、はっと目が覚める。チャーがなにかを伝えていた。あわてて上半身を起こし、チャーを抱き上げる。そのとき、彼の体はこわばり、覗き込んだ瞳からは生気が失われていた。時がきてしまった。寝ていた母と妹を起こす。人間の子どもたちよりいつだってチャーを心配し、可愛がっていた母にチャーを抱かせる。チャーは何度か大きく深呼吸をして、最後に大きく吸ったまま、二度と息を吐くことはなかった。

窓の外には、穏やかな朝が広がりはじめていた。


犬は、犬という時間を生きている。ソクラテスはかつて、自身の著書のなかでそう綴っていない。私がこの1年、チャーを想い、チャーとはなんだったのかを考えたときに、ふとたどり着いた仮説がそれだった。いわゆる、ただのでたらめである。

人間は人間という時間を生き、イリオモテヤマネコはイリオモテヤマネコという時間を生きる。神様か仏様か知らないけれど、何者かによって引かれ始めた線はどこかで途切れることだけが決められている。与えられた線の上を生きるしかないわれわれは、犬だろうが人間だろうがイリオモテヤマネコだろうが、つかみどころのない「時間」に代入されたxやyにすぎないのかもしれない。あまりにも出鱈目でデタラメなでたらめだけれども。

たまたま線の終点へ先に辿りついたチャーは、まだ私が体験したことのない領域を乗り越えていった。それについて私は、彼をとても尊敬している。

チャーが亡くなっても、火葬場の窯に入れられる瞬間を除いて、私の目からは涙が落ちなかった。家族には薄情者呼ばわりされたが、私は哀しみや寂しさよりむしろ、チャーを誇らしく思う気持ちが強かった。たったひとりで、私にはまだ怖いとさえ感じる死を受け入れ旅立っていった。そこに人間だの犬だのといったくだらない垣根はない。チャーはまた、もとの「時間」に戻っていった。なんだかいまは、出会う前からそばにいて、お別れしてからもずっとそばにいるような、そんな気がしている。

チャーが我が家で過ごしてくれた日々は輝かしく幸福にあふれていた。チャーも同じだったらうれしい。

noteをお読みくださり、ありがとうございます。 いただいたサポートをもとに新たな体験をして、またそれを文章にて還元させていただきます。 お心遣いだけでもう、じゅうぶんうれしいです。