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ちゃぱにい

「最近この西山田区で不審者が出没しています。できる限り友達と集団で帰るように」

帰りホームルームで担任の岩田先生がそう言ったとき思い当たる人物が浮かんだ。

家の近所のアパートに住んでいる、ひょろっと細長い体系にいつもくたびれた黒のスウェット姿をしていて手を胸の前でもぞもぞと指遊びをしてにやにやと不気味な笑みを浮かべては近所を徘徊している人。

茶色い頭髪は人目を気にしない寝癖がいたるところについていて普通の人とは到底思えなかった。

ぱっと見若そうな顔つきに茶髪の頭髪をしているため僕らは彼のことは「ちゃぱにい」と呼んでいた。

何人にも目撃されていたが一様に口をそろえて彼の異様な雰囲気は見るだけで実害はないのだが何とも言えない不気味さがあった。

「絶対ちゃぱにいの事やん。有名になったな」
周りのクラスメイトも同じ人物を予想していた。
岩田先生の話は僕らにとっては恐怖というよりどちらかというと好奇の気持ちが強かった。

不気味で無害な人。それが僕らにとってのちゃぱにいだった。

週に一度の頻度で下校の時間に彼と遭遇する。
正面の方でにやにやと胸の前で指をもぞもぞと動かせて俯きがちな姿勢でにやにやと不気味な笑顔を張りつかせて歩いていた。

一瞬の緊張感が僕らに訪れては何事もなく通り過ぎて何事もなく終わる。
感覚でいうなら短いお化け屋敷のようだった。

僕の周りにやんちゃな友達がいないのか無理に刺激することなくただ無視を決め込んで彼とのすれ違いの日々を過ごしていた。

「今日もおるな~」
「ちょっと目会ってんけど」
「ちゃぱにいいつも何してんのやろ」
「ニートちゃうの」

いつも通り過ぎるごとに彼の不気味さで話題が持ちきりだった。


学校でちゃぱにいの存在が公になった一か月後

部活終わりの夕暮れ。秋が始まったのか紫色の空がすごく不気味な空だった。
逢魔ヶ時といわれる時間。友達といつものように家路を歩いていると向かい側に彼がいた。
時間も相まって彼の姿は妖怪のように不気味で少し自分の中で恐怖が芽生えた。
「うわっ、ちゃぱにいおるやん」
友人の宮田は彼に気付くと僕に小さく耳打ちした。

いつも通り不気味な笑みを浮かべて歩いている彼は僕らに気付くと立ち止まってこちらの方をじっと眺めていた。

向かい側からとても冷たい目で固まったようにこちらを見ていた。
胸の前でもてあそんでいた指遊びを止めてただじっとこちらを見ていた。
いつもと違う彼に初めて認知された瞬間だった。

不幸なことに彼の立っているところの隣は僕の家のマンションがある。
彼の前を横切ってカギを開ける間まで彼がこちらの方を見続けることを考えると家に帰ることができない。

いつもと違って立ち止まってこちらをみている姿はお化け屋敷のような安全な恐怖ではなく襲われてしまうという身の危険を初めて彼から感じた瞬間だった。

僕は震えそうな声をわざとらしく大きくして僕は宮田に言った。

「のど乾いたわ。ジュース驕るから自販機寄ろうや」

「おう、ええよ」

今一人になるのが怖くて宮田にジュースを餌にして一緒に寄り道をして家から遠ざかる。

公園の近くの自販機でジュースを二本買いできるだけゆっくりと飲む。
甘い炭酸のジュースを味わう気にもなれず頭の中は早く彼が家の前から立ち去ってほしい気持ちしかない。
このまま家の前にいたらどうしよう。助けを呼ぶって誰に呼べばいいんだろう。横の宮田に相談しようにもできない。宮田まで危険に晒されてしまうかも。
不安とともに夕暮れの紫は濃く染められていき焦燥感だけが強くなった。

僕の不安をよそにお構いなくジュースをおいしそうに飲むと宮田が言った

「翔太しっとう?この前ちゃぱにいが襲ってきたらしいで。安本が帰りしに背中蹴られたらしいよ」

「まじ?なんでなん」

「なんかいきなり襲われたらしいで。帰ってたら後ろから蹴り上げられて振り返ったらちゃぱにいやったらしい。目が血走ってた感じやったから怖くて逃げたけど殺されそうやった言うてたわ」

「大げさやろ~」
笑ってごまかしたけれど背中から嫌な汗が流れるような気分だった。

あの時の睨みつけるような目は明らかに何かを狙っていたんだと確信に変わり同時に彼の存在が危険なものだと言うことが。

まだ家の前にいるのだろうか。今もあの家で立ち止まっていると考えると腰が重くて動く気にもなれなかったが、宮田が僕の家で漫画を借りたいというのでしぶしぶ動かざるを得なかった。


家の前に戻ると既に彼はいなかった。
ほっと気が抜けた気分だった。

「んなまた明日~」
「おう、じゃあな」

翌朝
宮田は怪我をしていた。
膝に大きな絆創膏をしていたが対して大きなけがではなかったが怪我以上に不安な気持ちがよぎった。

「その傷どうしたん……」

「昨日の帰りしに誰かに押されてそん時に怪我してもたわ」

「それってちゃぱにいちゃうの」

「いや暗くて誰かわからんから何とも言えんけどちゃぱにいやったらやり返すわ」
笑って流す宮田が不安だった。その時の僕は宮田のすることがまるで蜂の巣にちょっかいをかけるように見えたから。

「無理に刺激せん方がいいやろ。ほっとこうや」
「えらい弱気やなぁ」
「初めからあいつやばいやん。いきなり襲いだしてきたとか次なんかしたらマジで殺されそうやって」

堰を切ったように口が止まらなかった。
必死に彼の危険性を僕は訴えた。

「流石にないやろ~」
「とりあえず関わりたくないわ、宮ちゃんもやめとこや」

その日から僕の中で実害をもったちゃぱにいはただ不気味なだけではない存在になった。

見かけるたびに気付かれないように回り道をしたりして彼との接触を減らした。宮田には強く止めたこともあったのか一緒にいるときは僕の事を尊重して下手に刺激するようなことはなかった。

そんなことを繰り返していくうちに彼の姿は見なくなった。いつもの帰りの時間でも会うことは無くなった。
当たり前のように避けていた日常から彼がいなくなったことは僕にとって胸のつかえがとれた気分だった。

それ以来、彼の姿を見ていない。


就職して地元を離れてから久しぶりに実家に帰省した。
数年ぶりの帰省、連絡を聞いた宮田が地元のメンツで飲み会をしようと連絡があり近くの居酒屋で久しぶりの見慣れた顔ぶれでごはんを囲み昔話に華を咲かせた。

「ひさびさやな~」
「いつぶりやっけ?」
「成人式ぶりちゃうか」

中学生ぶりの話はどれも懐かしい話ばかりでお酒もすすみ顔がどんどん暖かくなるのを感じた。

楽しい時間に終わりが見えだしたとき安本が懐かしい人物の名前を挙げた。

「みんな、『ちゃぱにい』って覚えてる?」
「うわっ懐かしっ」
「あいつ何してんの」
「安本が襲われた奴やろ」
久々に聞いた名前はお酒のおかげか昔の恐怖は無く、どちらかというと懐かしみを感じる響きだった。

「そうそう、あいつさ~今もうろうろしているんよな」
「相変わらず不気味やなぁ。安本なんで襲われたん」

「あれな~あいつの家あるやろ?今では恥ずかしい話やけど、あいつの家に石投げていたずらしてたのがさ俺の周りで流行ってたんよ。それである日投げてるところ見られて後ろからドンって蹴られたってわけ」

「あほちゃうか」

みんなが一様に咎めつつも笑う中、安本はそれを強引に話をつづけた。

「いやまあ、悪いことした思ったしその日から俺もそんなことはしなくなったんよ。けどなんか他校の奴らがそれをしつこく続けてたみたいで実際俺以外にも襲われたらしいわ。俺とか怪我とかそんなことなかったけど、聞いた話によると一時期包丁持ってて歩いてたみたい」

「怖っ、しばらく見んくなったのも捕まったからちゃうん」

「いやどうなんやろな」

「翔ちゃん県外で一人暮らしを始めたから知らんと思うけど、ちゃぱにい何年か前まではスーツ着てたで。ぴっちりした髪型で歩いてるのを見たで」

「まあそれももう見んくなったよな」
「辞めたんちゃうか、知らんけど」
地元に変わらず住んでいる安本と宮田は彼の姿をほぼ毎日見ているらしい。

今も変わらない姿でいるようだった。

「なんか亡霊みたいやな」

ふっと漏れた感想に周りは笑うことはなかった。

時間はすっかり暗くなり皆と解散し、一人で家に帰っていると向かい側から昔と変わらない姿で手をまごつかせてにやにやと笑みをうかべてとぼとぼと歩く彼がいた。

彼は僕に気付くと歩みを止めて僕の方をじっとみた。

睨んでいるのか暗くて見えないが昔と背丈が変わったのか見続けてくる彼の姿はあの日見たときより大きく見えなかった。

立ち止まっている彼を通り過ぎる瞬間目が合った。

落ちくぼんだ目には怯えの色があったように見えた。

目をそらしてしまったら襲われる、そんなことを思わせる瞳の色をしていた。

はじめからずっと怯えていたのかもしれない。
不気味なだけでそれ以上でもそれ以下でもない。
無邪気ないたずらによって助長された不審者としてのレッテル。

変わらない姿でいたはずの彼の背中は昔より小さく見えた。

とぼとぼと歩く後ろ姿を見ていると心に黒くてドロッとしたものが残り続けた。

それが僕の見た最後の姿だった。

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