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私が銭湯が好きな理由

私は銭湯が好きだ。とはいっても、毎日通い詰めている訳ではなく、気が向いた時にふらっと行く程度なのだが。

なぜ銭湯が好きなのか。広い湯舟に浸かったり、サウナで整って気持ち良くなれるといった理由もあるのだが、広い大浴場で客に囲まれて湯に浸かり、思考を巡らせることが好きなのだ。

銭湯では服を脱ぎ、何も持たざる身になる。さらに銭湯では肩書・学歴・職歴といった俗世でのレッテルは見えない。そんな姿で、自分には何が残っているのだろう?何ができるのだろう?と考える。

もし銭湯を従業員だけでなく、客も含めて共同で管理している場として捉えた場合、私はその共同管理にどのように貢献しているのだろうか?使い終わった洗面器を入念に洗って湯に浸かりに行く客。サウナで初対面の人と打ち解け場を盛り立てる客。銭湯を様々な客によって維持される空間とも捉えることができる。そのため、銭湯は肩ひじ張らずに湯を楽しむ場であるだけでなく、人間としての真の器量が試される場でもあるのだ。

さらに、一人で銭湯に行った際はスマートフォンから離れ、湯に浸かりながら、自分自身と向き合うことができる。銭湯には子供、その子を見守る母親、老人まで様々な世代の客がいる。湯に浸かりながら幅広い世代の客をぼうっと眺めることで、「今自分は何に向かって、何のために頑張っているのか?将来人間としてどうありたいのか?」とひたすら自問自答する。

傍から見たら、ただ湯に浸かっているだけの女にしか見えないとは思うが、頭の中ではこういった考えが巡り、オーバーフローしそうになっているのである。



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