春の声

春は毎年、わたしにとって曖昧で淡くて、ぼやけた風景を運んでくる。
昔はそんな春って心がどこか宙を浮くようで、ただ苦手だった。
大切な人と離ればなれになって、新しく知り合う人との出会いで忙しく、過去をじっくりと振り返れないくらいの猛スピードで進んでいく。

眠るとき、わたしの夢にはあまり身近な人が出てくれなくて、いつも全く知らない人たちと親しげに会話してる。
そんな風に毎年春は、まるで夢のような、ぼやけた曖昧さが漂っていて、知っている人も親しい人も、環境によって別人のようにも変わっていくものだと実感することもある。

でも、ただ気が滅入るだけではない。
今年は春を積極的に楽しもうと思ったのだ。
お弁当をつくって、友人と公園へピクニックする計画を立てた。なかなか晴れマークがつかない天気予報だけど、かろうじて晴れマークがついた日に出掛けることに決めた。

前日の夜にお弁当のおかずの仕込みをして、翌朝早く起きて定番のおにぎりや、卵焼きや、焼き魚、サラダなどつめた。
いつもカフェでつめてるみたいにしたかったけど、オリジナルのお弁当ができあがった。
これもこれでいいかと思えた。
ふと、頭の片隅ではなぜか空回りするかもしれないとも思った。
わたしが張りきって準備するときに、たまにちょっとしたアクシデントもあるからだ。
楽しいことがある前日は、浮き足だって眠れなくてついつい夜更かしもしてしまうこともあって、この日は特にそんな日だった。

ピクニック当日、友人はとっても喜んでくれて、野菜が苦手なのに美味しいと食べてくれた。
お弁当を食べたあとはそのまま、砂利の上にレジャーシートを敷いて、のほほんと桜を見上げてくつろいだ。
見頃と言われた日から2日目の桜は満開で、空は少し曇っていたけれど明るく、ほんのりと空に浮かんだ白い桜はとても綺麗だった。
お互いの近況報告をしたり、恋の話だったり、時間を忘れてしまうくらい、ただだらだらと時間を過ごした。彼女はこの春の恋に期待を寄せていて、とても可愛らしい表情だった。

3日目の今日は、近所のパン屋さんへ寄ってお昼ごはんを食べようと思った。
そのパン屋さんは小さなパン屋さんなんだけど、気まぐれでほぼ行く度に定休日で、それなのにパンがふかふかしていてとても美味しいのだ。今日は運良くお店が開いていた。
わたしはそのパン屋さんのクロワッサンがお気に入りだ。外はパリパリの生地で、中はバター風味でもっちりとした食感がおいしい。
今日はクロワッサンはもう最後のひとつだった。美味しそうなできたてのよもぎパンも並んであったので、さっそくクロワッサン、よもぎパンを選んだ。
家に持ち帰ってパンを食べる予定だったけど、ふと桜を眺めながらパンを食べたいと思った。

坂道を登ると、桜が咲いてそうだったので少し歩いてみたけれど、あまり咲いてなくて道路沿いだったので、結局落ち着く近所の公園まで歩くことに。
去年の春に引っ越してきたが、当時はもう桜の季節は終わっていたので、今年がその公園の桜に出会える一年目だった。
そこはたまたま桜の名所らしく、公園の名前にも桜がついていて、芝生の上では家族や恋人や、わんちゃんたちや、いろんな家庭の風景が溢れていてなんだか天国のような幸せな気持ちになった。
ふと広い芝生を眺めながら、幼い頃に一生懸命走りながら空高くまで凧をあげようとしていた小さな従兄弟の兄の姿を思い出した。
よく芝生の上を一緒に走り回ったり、転げ回ったりしていた。
一瞬この令和に平成初期の頃の風が吹いたような気がして、なんだか不思議な気分になった。
大きな桜の木を見つけて、その下でホカホカのよもぎパンを食べた。
口いっぱいによもぎの香りが広がってとても美味しい。ビールも1缶だけ近くのコンビニで買って飲んだ。
お気に入りのクロワッサンは、山頂で景色を眺めながら食べることにした。

青空と桜
まっかなチューリップ
公園と人々
ピンク色のサクラ

桜を眺めながら、桜は毎年何を思って咲くのだろう?とふと感じた。
最初は連日雨予報だったので、そんな中で咲くなんて不運だと感じていたのだ。
桜だって、日に照らされて咲き誇りたいのではないか、いろんな人に見てもらって綺麗だと言ってもらいたいのではないか‥。
夏の蝉のようにあっという間に過ぎる花の命だ。
見頃が過ぎてしまって、気づいたら桜が見れなかった季節もあるほど、一瞬で儚い時間。
けれど、やっぱり桜は誰彼のこともかまわず、好きに咲いてるようだ。
人間が勝手に、桜の花びらに思いをたくしたり、数え切れないほどのこの季節の思い出を重ねたり、なにか感情を引き起こしているだけなのかもしれない。
不思議なほど、今年の桜はいろいろな人の気持ちや懐かしい思い出を、わたしに運んできた気がした。
あいかわらず、わたしの側には、見守ってくれている人がいる。
それは、とっても恵まれたことで積極的に愛する価値のある時間なのだと思う。

満開の桜も、もう散り始めた桜も、まだ蕾のままの桜も。
あっという間に、それぞれの次の準備と、命の循環に取りかかってるような気がした。
人間のように、焦りはないかもしれないけれど、帰り道まだ咲けてない日陰の桜の木にそっとエールを送ってみた。

春は出会いと別れの繰り返しだ。
きっと最近会えてない人たちも、どこかで幸せなひとときを過ごしているのかもしれない。
もしかしたら、このままもう2度と会えなくなってしまった人達もいるのかもしれない。
だから、人との縁は一期一会なんだ。
もっと人を大切に想えたらいいな。

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