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この地球に、感謝しながら生きていく

田舎で育った私は、どちらかといえば自然に近いところで、自然に親しみながら生きてきた人間のように思う。小学生のときには当然のように野菜作りやお米作りを経験したし、両親に連れて行ってもらう山や海では、いつも新しいものとの出会いを楽しんでいた。

あの頃の私には、海岸で拾う角の取れたガラスや貝殻たちが宝物に見えていたし、山に溢れる作物や花、普段はみたことのない色の虫たちを見つけては、目を輝かせていた。

秋になれば柿や栗を収穫し、土まみれになりながら畑のさつま芋を掘り起こす。そんな自然との触れ合いをすっかり忘れてしまったのは、いつの頃からだっただろうか。

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先日、ちょっとしたご縁があって、畑の作物を収穫させてもらえる機会に恵まれた。ピーマン、ししとう、ナス、トマト。祖父母が畑をやめて以来、並べられた商品ではない、本来の野菜の姿を見たのはかなり久しぶりのことだった。

青空の下で丸々とした実をつける野菜たちを、私はドキドキしながら切り取っていく。

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「美味しそう…!」

料理ではなくて、"野菜そのもの"を美味しそうだと感じたことも、随分と久しぶりのような気がした。「この辺の野菜は、放っておいても勝手に育ってくれるのよ」なんて話を聞きながら、世の中の不穏さに動じない、自然の力を私は改めて感じていた。

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未曾有のパンデミック、加速する気候変動…人類の自己破壊的な営みとともに、「日常」は崩壊しつつある。それでも流れを止めない「生命」とその多様な賑わいを、いかに受け容れ、次世代へと繋ごうか。独立研究者、森田真生さんによる、四季折々のドキュメント・エッセイ!

この本を読んだとき、私は先日の収穫のひとときを思い出していた。それと同時に、私のなかにあったひとつのモヤモヤが、ひとつ晴れていくのを感じた。

ここしばらく、私の中にモヤッとしたものをもたらし続けていたもの。それはいまや聞きなれた言葉となった「SDGs」である。

__持続可能な開発目標。

正直、そんな日本語を聞いたところで、私の中に何か具体的なイメージが湧いたかといわれるとそうではない。SDGsについての本を読み、なんとかその取り組みを理解しようと努めたものの、結局自分自身にできることなんて、これっぽちも思い浮かばなかった。

というより、私はそれまで散々いわれてきていた「エコ」と呼ばれる環境への取り組みと何が違うのか、その違いがよく分からなかったのだ。

エコで紙を削減しましょう、ナイロン袋を使わないようにしましょう、リサイクルに取り組みましょう。結局、企業で取り組むそれらは、パフォーマンスの域にとどまるような気がしてならないし、個人でできることなど、これまで以上に何をすべきなのか。

SDGsとは、持続可能な開発目標とは、結局のところ何を目指そうとしているのか。そんなモヤッとした気持ちは、その言葉を見る度に呼び起こされていた。

現代人はあまりに多くのことを知っているが、他方で、知っていることのほとんどを実感できていなかったというのだ。このことを僕たちは知識として承知している。それが、自分たちの行動の帰結であることも分かっている。いまの快適な暮らしが、持続可能でないことも頭では知っているつもりだ。それでも、切実な実感を伴わない。(P.20)

どれだけ環境が危機にさらされているかを小難しいデータを並べて説明している本はたくさんある。持続可能な開発目標について、その意味を危機感をもとに説明している本もたくさんある。私も今まで、その類の本を何冊も読んできた。

しかしこの本は、子供と一緒に「もりたのーえん」を作ったり、「おうちをようちえん」にしたりしながら、エコロジカルな思考について綴っているエッセイ本なのである。

より日常に近いところを切り取って、地球に存在する「生命」について綴ったこの本を読んでいると、知識として理解していたその取り組みの必要性が、自分ごととして変換されていくのを感じた。

私たち「ヒト」という生き物は、地球に暮らす多様な生き物のうちの一つにすぎないということ。人間中心の身勝手な思考をやめて、他の生き物たちと長く共存していかなければならないこと。だから私たちは、これまでとは違った形でより良い暮らしを目指してくべきなのだということ。

それが「持続可能な開発目標」という言葉の本質なのかもしれないと、私はこの本を読んでようやく自分ごととして理解することができた気がしている。そして、多様性を受け容れるということは、なにもヒトだけに限った話ではないのかもしれないと、考えさせられた。

では私に何ができるのか。そんな風に問われても、私にはまだはっきりとした答えが出せたわけではない。しかし、この本を読み終えたとき、私は無性に、他の「生命」を感じたくなった。

思えば私は、引っ越ししてからこの1年半、その辺りを歩いてみたことすらなかった。はじめて歩く街は、公園の木の根元にどんぐりの絨毯が広がっていて、ヒメジョオンたちは風に揺られながらキラキラと川沿いをデコレーションしていた。

虫たちが創り出した芸術作品に見惚れて油断していたすぐあと、私はくっつき虫に襲撃を許してしまっていたことに気が付く。洋服にくっついたその種たちを剥がしながら、私はネコジャラシとススキが風に吹かれるのを眺めた。

私たちはいつか本当に、こんな美しい景色を失ってしまうのだろうか。穏やかな景色を眺めていると、それまで理解していたことが、虚構のように感じてしまう。

__散歩の帰り、ゴミ袋とトングを持って歩く、マスク姿の女性とすれ違う。

さて。

私はこの地球ホシに、どう感謝を伝えていこう。

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