見出し画像

風俗キャストさんとのデートというサービスに感じていた価値

風俗サービスにおける「デート」ってなかなか立ち位置が難しいサービスですよね。

ベッドに入る前のお近づきの時間なのか、余韻を楽しむ為のものなのか、それとも疑似恋愛を楽しんでいる間柄だから機能するサービスなのか、デート出来るような恋人やパートナー、友達がいないから利用するものなのか…。
ユーザーの中でも、このサービスの提供を受けることには、やや冷笑的な目線を向ける人も少なくなく。
わざわざ高いお金を払い、「風俗のキャストさん」と、「風俗」でなくともできることをするサービスの価値はなんなのでしょう。

もちろん、このサービスにどういう価値を感じるかに、単一の正解などなく、買う側がその代金の代わりに提供される時間に満足をすればよい自由度の高いサービスというのは前提として、基本的に私自身は、レズ風俗はあくまで性的サービスを受ける為に利用したいと思っていて、デートで過ごせるようなイベントは、恋人やパートナー、ないし、友達と過ごせば宜しいがな、コスパが悪い、という価値観の持ち主です。

一方で、本指名していたキャストさん(以下、すきぴちゃん)とは、2年以上、定期的に長時間のデートを繰り返していました。
圧倒的な矛盾…(笑!!

どうせなので、と、その時間は、なるべく「パートナーとは楽しみにくい時間の過ごし方(パートナーの嫌いな食べ物を食べに行く)」や「課金しているからこそ一方的に付き合わせても遠慮しなくていい、自分ファーストな時間の過ごし方(洋服を選んでもらう、カラオケで好きな曲を歌ってもらう)」しばりで過ごしてましたが、そう過ごせるから、すきぴちゃんとデートをしたいわけではないなぁと薄々は感じており…。

彼女が卒業して数週間が経ったある日、会社で悲しい出来事が発生して、ぴえええんとなった時に、あらためてその時間に自分が本当は何の価値を感じていたのか、ということがよくわかり、連投したつぶやきを残しておきます。


会社などで不定期に発生するメンタルダメージ事象は、全部すきぴちゃんにヨシヨシしてもらってたな。
本当に、ただヨシヨシしてくれるから、何でも話せた。

パートナーにも、色々なことは話すし話せるんだけど、彼女は諸々知りすぎてるが故に、例えば最終的に「なんでそんなとこにずっといるの」と批判者のモードになってしまったりする。
ただただ共感と慰めだけを求める、ということはすこし難しい。

すきぴちゃんとは、付き合いが長いから背景全部すっ飛ばせるし、「また?!」みたいな、かゆいところに手が届く反応をくれる。
そもそもが賢い上、こちらの状況への解像度が高いから、辛い時の余計な地雷を絶対に踏まない。
私の哀しいよ〜〜辛いよ〜〜に対して、ただ、哀しいね〜頑張ってるね〜早く良くなるといいね〜良いことがあるといいね〜など、無限に適切な共感と言葉と肯定と受容に満ちた空気でヨシヨシしてくれた。

もちろんセットのえろで、人肌とか行為の気持ちよさにもくそみそに癒されてたのだけど、この共感を省略して人肌提供されても、なんだかうやむやと快楽にごまかされた感じになりかねない。
この「話に耳を傾けて共感して心をほぐす」ターンと、「人肌で癒す」ターンの切り替えというか接続が、すきぴちゃんは神がかり的にうまかった。

こちらを最大限に尊重し、人生の喜怒哀楽につきあってくれた。
楽しいことも、辛かったことも、怒りも、喜びも、適切な温度感で寄り添ってくれて、一緒に楽しんだり悲しんだりしてくれて、私を絶対に否定しない存在。
だからこそ、どんな出来事も感情も、安心して共有できた。
他の誰と過ごすのとも違う、とにかく心地のいい時間を過ごせた。

私にとって、彼女と過ごす時間の価値の本質は、そういうところにあったんだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?