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かの人よ朝けの風にかをる梅



🫒今年も短歌を学びたいです


noteで短歌に出会いました。自分で詠むことになって、参考図書として手をつけたのは万葉集でした。高校までの教科書や資料集で、心惹かれたのをおぼえていたからです。

韓衣からころむすそに取りつき泣く子らを置きてそ来ぬやおもなしにして

万葉集巻二十より

防人さきもりに徴用されて、こどもを置いてきた人が存在したとわかります。この歌を最初に私が目にしたのは小学生だったとおもいます。そんなことがあったのかと、とても怖かったです。

しろかねくがねたまなにせむにまされる宝にしかめやも

万葉集巻五より

こどもは何よりも大切。歴史や民俗、人の息遣いが伝わるような短歌が好きです。そうして自分で拙い短歌を詠みながら、ときどき万葉集を読むようになりました。専門書は難しいので、児童書を図書館で借りています。

🫒みなもとの  実朝さねとも

万葉集を少し読むようになっていたころ、一昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に、鎌倉幕府三代将軍源実朝みなもとのさねともの短歌が引用されました。

大海おほうみいそもとどろに寄する波われてくだけてさけて散るかも

この波のけいの表現に、すっかり心を持っていかれました。前半のエネルギーをためていくような緊張感、後半に畳み掛ける波。この人の短歌を全部読みたいとおもいました。それから実朝さねともに関わる本を少しずつ読んでいます。

🫒『右大臣実朝』


太宰治の著書です。吾妻鏡や増鏡などの引用が多くて、私には難しかったです。何日に何があったという記録が丁寧にされていました。実朝のおい公暁くぎょうが海辺で蟹を焼いて食べる場面が、太宰治の小説らしい部分でした。

ふと足許あしもとを見ると食いちらされた蟹の残骸が、そこら中いっぱいに散らばっているのがほの白く見えて、その吐溜はきだめのような汚なさが、そのままあの人(公暁くぎょう)の心の姿だと思いました。

太宰治『右大臣実朝』より

🫒繰り返しなぞること


大河ドラマで実朝さねともの短歌に触れて、さらにその時代の歴史や人物を観られたのは大変な幸運でした。『鎌倉殿の13人』を観ていなかったら、太宰治の『右大臣実朝』は理解できなかったでしょう。

同じ時代の同じ人物について繰り返し解説されるうちに、やっと少し状況がつかめるようになってきました。

幼くして将軍となった実朝。執権が強力で、大人になってもおもうような政治をできませんでした。将軍なのに、大事な仲間たちが粛清されていくのを止める力はありません。実朝について知るほど、彼の短歌に惹き込まれていきました。

🫒あさあさ


前にもnoteにしているのですが

朝な朝なは、毎朝という意味です。なと同じようなことです。

実朝さねともは『朝な朝な』を何度も使っています。『朝』は父頼朝よりともと自分の名前で共有している特別な一文字です。

※以下は実朝の短歌に対する
私個人の浅はかな空想です。
お許しください。

高円たかまどのをのへのきぎす朝な朝なつまにこひつつ鳴く音かなしも

(キジが伴侶をおもって鳴く声がとても痛ましい)

真冬に山で落馬して年明けに亡くなったと伝わる頼朝の魂だろうか。

朝な朝な露にをれふす秋萩の花ふみしだき鹿ぞ鳴くなる

(露に折れて倒れている萩の花を踏み荒らして
鹿が鳴いている)

萩の花が実朝、鹿が北条家。

秋の野におく白露の朝な朝なはかなくてのみ消えやかへらむ

(露は儚く消えてしまうだろう)

我々(将軍家)はまことに弱々しくて、消えてなくなってしまうだろう。

たまくしげはこねの山の郭公ほととぎすむかふのさとに朝な朝ななく

箱根のほととぎすが鳴く声は、彼岸の父(頼朝)が呼ぶ声のようだ。

以上、そんな根拠のない空想をしています。


🫒伝わる短歌

古典文法に詳しくないので、短歌を読むのに時間がかかります。実朝の短歌も辞書を引きながら読むのですが、調べなくても伝わってくるものもあります。

ものいはぬ四方よもけだものすらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ

時により過ぐれば民のなげきなり八大竜王雨やめ給へ

そのままでも伝わることは、とても大切におもいます。京都へ行くことがなかった実朝だから、現代でも意味が通じるような歌が詠めたのかもしれません。人の心を打つから、歌人たちが大切に語り継いできたのでしょう。

🫒このねぬる朝けの風にかをるなり軒端のきはの梅の春の初花はつはな

ねぬる:ぬ(る)

実朝さねともの短歌の中でも、特に好きなものです。今朝、梅の香りで目が覚めたよ、という場面でしょうか。その血筋のみを重宝され、若くして亡くなってしまった彼に、こんな春の朝があったのだとおもうとよかったなとほっとするのです。

ただ、いくつかその時代を解説した本を読んでみると、災害に遭って厳しい世相の鎌倉時代にあって、まことに優雅で結構ですねと嫌みのひとつも言えなくもないこともわかってきました。

それでも、きれいな家屋できれいな衣をまとった高貴な若者が、軒端の梅を慈しむ穏やかな光景は、私の心を和ませます。実朝の短歌が好きです。今年も実朝を起点に学んでいきたいです。彼について書かれたものや、本歌取りに採用される万葉集や古今和歌集など、ゆっくり追っていこうとおもいます。

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