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本の学び

『それぞれのうしろ姿』
を読んで再決意
「”阿呆”になる」宣言



エッセイは
あまり読んでこなかった

著者の方の
生活感が全面的に
伝わりすぎる?

単純に
苦手意識
を持っていた

先日
カバーの
紙質と色合い
イラストが
主張しすぎてなくて
わたし好みで
思わず手にした
エッセイ本

さっとオビを読んでみた

“花木だけでなく
冬はあらゆる虫や雑草までもが
変わらぬ姿で
厳しい時間を耐えている”

この文章好き!

心に刺さり
清算を済ませ
車の中で
しばらく声にして
読んでみた

やっぱり好きだ

読んでると
周りの喧騒からも
解放される
そんな感覚だった


モノが
擬人化されているところも
頭の中で想像が沸いてきて
楽しい

大理石の彫刻の
あえて”残骸”の方に
フォーカスする

ボール遊びの
不規則さ
想定外を
生き抜くレッスンに
例えたり

物と人の関係性

人と人の関係性

物の気持ち
人の気持ち
植物の気持ち

彼らに対する言葉に
愛を感じる

彼らへのリスペクト
を感じる言葉たち

そこに
教訓や戒め的な風刺が
散りばめられていて

あれっ?
考える機会を
与えられてる?

これは教科書だな
厳しい言葉もあるけど
わたしにも愛が
しっかり伝わる

なんども読み返したい

こんなエッセイも
あるんだ!

『刃が鈍くなったノコギリ』
「勝者は果たして誰なのか」

『サビ』
着眼点がすごすぎる

『種』
輝く日々には
終わりがある
一株の小さな草でさえ
それを心得ている
”未練”と”後悔”にて苛まれ
チャンスを逃す人間よりも
優れている

花の種のなかには
その花の前世
すなわち
はるかなる
地質学的な
過去の記憶が入ってる


このテーマ
かなり好き!!!


誰かに
言い聞かせる
のではなく

著者自身が
自分に問いを投げかけたり
してるから?

おしつけがましく
感じない

わたしも素直に
自分自身に問いかけ
考えることができた

思い当たる感覚に

クスッと笑えたり
背筋がシャキッと
となったり

わたしの脳は刺激され
気づきをたくさん
与えてもらった

それから
”あとがき”も読んだ

外国のニュースには
あまり精通してないし

BTSの方々のこと
詳しくはないけれど

ざっくり娘の世代
だろう

はたしてわたしは
わたしの娘くらいの年齢で
この本を手に取り
こんなにも魂を揺さぶられた
だろうか?

RMさんの
魂の成熟度すごいな

年齢はただの数だ
と聞いたこともある

若くても
良い経験も
たくさんされてる
一方で
想像できないくらい
つらい経験も
されてるだろう

そのぶん
アンテナも敏感で
柔軟に物事を
考えられるのかな?

なにが違うのかな?

活躍されている
若い人たちの
スピードには
決して追いつけないけど

“うしろ姿”
を目指して

わたしなりに
死ぬまで学びは続けたい

改めて思った

この本に出会えて良かった!

この本は
読むときの
わたしの心情によって
立ち止まるテーマが
変わる本だ

なので
きっと
何度も再読するな


さて
今年のわたしの目標は
「”阿呆”になる」

今年の年始
夫に宣言した

字の如く
右手を挙げて
宣言をした

ちなみに
夫は”阿呆”になれる側の人
魂レベル高くて
メンタル最強
(本人曰く
もちろん最初からじゃないよ)


いつも人の顔色を見て
行動をしてしまう

勝手に
良い人でいないと!
キャンペーンの人生を
送ってきた

人を信頼して
頼ることも苦手だった

いよいよ?
ようやく?
やっと???
限界を感じ

だってわたしは
全くもって
器用な人間じゃないから

自分を解放するため
の目標が
“阿呆”になる

ここ数年
ほんとうに
うんと若い方々の
活躍されている姿を
目にすることが
増えてきて

すごいな〜
かっこいい生き方を
されてるな

心の底から
関心させられることが
多いです

生きざまを
自由にのびのびと
発信されてる

そんな
すてきは情報に
いとも簡単に
触れることができる

このnoteにも
多種多彩(多才?)な情報を
発信されている方が
多くいらっしゃるし

同時に
悩んでるの
わたしだけじゃないな

気づかされた

便利なツール
ありがたいです⭐︎


過去を悔やんでも
やり直せないし

人生後半ステージ
50代のわたしには

”未練”と”後悔”にて苛まれ

過去を哀れむ暇はない!

まさに

”輝く日々には
終わりがある
一株の小さな草でさえ
それを心得ている
”未練”と”後悔”にて苛まれ
チャンスを逃す人間よりも
優れている”

そんな植物たちのことを

“無謀な楽観主義者”たち

と表現されてる

これだ!
わたしの目標
“阿呆”になる

幼稚な決意に
聞こえるけど

こういうことが
言いたかった

“無謀な楽観主義者”
響きもかっこいいな

拝借しよう


若いときは
考え方の違いで
どんぱち繰り返した
夫とも
互いそれなりの
経験を経て

今では
わたしにとって
1番の理解者だ

そんな家族には
ようやく
“阿呆”になって
心から甘えられる
ようになってきた

自由を手に入れた
最強な気分だ

なので
家族だけじゃなく

今回のテーマ
“いま始めたいこと”に

こうして宣言をする

そんな
機会にしました

その他大勢の人にも
“阿呆”と思われても
平気でいたい

だけど
“魂”磨きは続けたい

『主語がない世の中』
“自分ではなく他者の意思に
背中を押されて
主語の位置につくものの
真の主語は後ろに隠れている
ケースが多い”

「わたし」が
真の“主語”になる

主人公になる
生き方をしていきたい

ちゃんとNoと言える人
にもなりたい

1番の課題は
言葉にしたあと

大丈夫かな?
これでよかったのかな?
嫌われちゃったかな?

ひとり反省会を
引きずらない
ループしない
心のトレーニング


わたしは
本が大好きなので

『それぞれのうしろ姿』
のような本に
たくさん出会って

“阿呆”と思われても
動揺せず
堂々と自分自身に
自信を持って生きたい


これが
わたしの

”いま始めたいこと”

です


今回のような
エッセイ苦手だったけど
大好きになった

この経験も
“阿呆”になる
極意だな
と感じたので

”ボール遊びの
不規則さや想定外”
も楽しみたいし

noteで
本について発信されてる
方々の情報も
貪欲に追わせていただきます











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