しっかりしてない

私はもうそろそろ30に届こうという齢である。
なのに、全然、しっかりしておらず、未だに泣き虫である。


いっぱい多くのミスをするし、
悲しい事があるとすぐにポロポロと泣いてしまう。

地図を見てても迷子になり、新しい所へ行くのも怖くて不安で緊張する。


大人になったらしっかりしてて、泣き虫でもなくて、責任感があって、
人に頼られるようになって、道に迷わなくて、
怖い物なんて全然ない風になると思っていた。


でも、現実はそうではなくて、私はいまだにしっかりしていなくて、
泣き虫で怖がりで、頼りがいがない。


このままだと、
40歳になってもしっかりしてなくて、
50歳になってもしっかりしてなくて、
60歳になってもしっかりしてなくて、
ずーっとしっかりしてない人間なのかもしれない。


そう思うと、心配で、怖くて、「しっかりしなきゃ」と思うのだけれど、
どうも「しっかりする」という事ができない。


私の中で「しっかりする」という事は硬い感じがある。
多分、世の中で「しっかりしている人」と言われている人に硬い印象を持っているからかもしれない。

「しっかりする」という事は決められた枠の中にぴっちりと納まって、
少し閉塞的で融通の利かない印象がある。

私はどうもその、ぴっちりと納まった感じが苦手で「しっかりする」という事が難しいのだ。

一時期、しっかりすることを意識していたのだけれど、
いつも緊張していて隙がなく、自分でも辛かった。


「しっかりしていない」という点で私は社会から見ればダメ人間であるけれど、もう、それは仕方がないという事にした方がいいのかもしれない。

多くの人が「しっかりしよう」「しっかりしよう」としている中で、
ほんの少しでも「しっかりしてない人」がいた方が空気の通る場所ができていいんじゃないかなと思う。

皆がしっかりしていたら、「しっかりなきゃ」って自分を追いつめてしまうけれど、そこにしっかりしてない人がいたら
「あんまりしっかりしなくてもいいのかもな」
「少し力を抜いて生きてもいいのかもな」
と思える人が少しでも出てきて、生きることが楽になると考えている。

だから、私はどうがんばってもしっかりできない人間であるので、
「しっかり」の空気に満たされた社会と言う名の風船をしゅーっと萎ませるような役割をしようと思うのだ。


「ああ、なんだ。頑張ってしっかりしなくても生きてゆけるのだ」
と思えるような見本になりたい。




しっかりしてない日常を書いている「しっかりしてないブログ」もよろしくお願いします。
残念ながら本当にしっかりしていないので、
「毎日更新!」
「情報発信しています!」
「お得な情報をお届け!」
みたいなのは全くないです。

「シュークリーム美味しかった」
「刺しゅうが上手くいかなくて泣いちゃった」
そういう事しか書いてないです。

コーヒー豆を買いたいです。