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ネパールの旅で最も心に残った写真

 大学二年生の時、ネパールを一ヶ月ぐらい一人旅したことがある。ネパールとインドには、ゴールデンマハシールというコイ科の魚がいて、これが見た目の美しさ(ゴールデンという言葉の通り、金色に輝く鱗をもつ)、最大1mを超えること、そしてルアーやフライにも積極的に反応してくれる肉食魚であることから、世界各地の釣りキチたちの憧れの魚になっている。僕の旅の目的も、この魚を釣り上げることにあった。(本当に美しい魚なので、ぜひググってみてください。)

 それでスーパーでのレジ打ちと、日雇労働で貯めた20万円を投げうって、3月まるまるをネパールの旅に費やした。しかし、実はこの旅にはもう一つの目的があって、それはエベレスト、アンナプルナを始め、世界的な名峰が肩を並べるヒマラヤ山脈をトレッキングしてみたいという願いであった。

 出発前に何一つの調整をせず、全くの無計画で行った旅なので、トレッキングと釣りを本当に出来るのかはイマイチよく分からなかったが、何とかガイドを見つけ、旅の半分はアンナプルナのベースキャンプ(標高4000mちょっと)を目指すトレッキングに充てられることになった。何百キロにも及ぶ険しい山道を踏破して、たどり着いたベースキャンプからは勿論14サミットの一つにも数えられるアンナプルナの勇姿を拝むことができたが、この旅で今でも時々見返す写真は、別の山のものである。その写真とは、これ。

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 聖山マチャプチャレ(右奥の一番高い山)。アンナプルナ山群の一つ。その特徴的な山頂の形から、別名を”フィッシュテイル”(魚のしっぽ)ともいう。登山に造詣のない僕から見ても分かる。その形、佇まい、どれをとっても超弩級の美しさだと思う。なにより、この山の神々しさをさらに強く浮き上がらせるのが、未だ山頂を踏んだ人間が存在しないという事実だろう。1957年にとあるイギリス人登山家の一向が、この山に登ったが、事前に交わされていた「頂上は踏まない」という約束にしたがって、山頂直下50m地点までで登攀は切り上げられている。「聖山」と名のつく通り、長い歴史の中で地元住民に崇敬され続けているこの山は、地球上では数少なくなってしまった「未開の地」なのである。1957年の登山以降、この山は登山行為自体が禁止され、今でも地元住民によって大切に守られている。おそらく、この山の頂を踏んでみたいという願いを持つ登山家は世界中にいるのだと思う。

 それは、人間が本能的に抱く冒険的行為への渇望であると思うし、その渇望の赴くままに、これまでエベレスト踏破や、南北極の探検などはなされてきたのだとも思う。こんなスケールの大きな話でなくとも、まだ小さい頃には誰もが(特に男の子)、近所の裏山に行ってみようよ、あの街の向こうにうっすら見える山まで自転車で行ってみようよ、といった風に今まで見たことがない土地、見たことがない景色を求めて、小さな冒険を積み重ねるものだと思う。そうした体験というのは、本当にいつまで経っても色あせないものというか、未だにワクワクするものだったりする。

 しかし、それでも僕たちはここには立ち入らないようにしましょう、ここは人間のものではありません、という形で「人間禁止」の土地を保持しておくことには、それが何なのかは分からないけど、冒険的行為を超越した畏敬の念を感じずにはいられない。なんとなく、永遠不滅の「未踏」が存在するからこそ、冒険好きな人はいつまでも冒険好きでいられるのじゃないかと思う。地球上から「未踏」が無くなってしまったら、冒険家は気が抜けてしまうのじゃないかと思う。

 この写真は、僕にとって、小さな冒険に焦がれていた少年時代の興奮を再生してくれる一枚であると同時に、「未踏を未踏のままにしておく」ことの幸せを実感させてくれる一枚でもあるのだ。

 p.s.トレッキングの後、釣りのためにネパールを方々歩いたが、結局マハシールは釣れなかった。そう、マハシールこそ、我が「未踏」。

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