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快復とともに高次脳の問題行動が顕著に

[備忘録]交通事故から28日目(2009.4.6の記録)
当時、「回復」ではなく「快復」を使用したのは、父の脳はもう完治しないと後遺障害が残ると分かったからだ。もう元には戻らない。もう障害者なのだ。その絶望はボディーブローのようにじわじわと気力も体力も奪っていく。


快復とともに暴言も問題行動も多発 ー高次脳機能障ー

 事故から4週間が経過すると父の体力は次第に回復してきた。元気になるのは喜ばしいが、活動的になるということは暴言や問題行動が増えるということだった。問題行動が顕著になればなるほど、精神障害者になってしまったのだという絶望感が広がっていく。食事の時間が近づけば大声で騒ぎ立てる。子どもがスプーンとフォークで机を叩くようなしぐさを、大の大人で高次脳の父がやると机をたたき壊すのではないかという勢いだ。そのため、誰よりも先に最初に父の給仕をして下さる方もいた。しかしそれはほんのひとにぎりだけ。あとは医療従事者であっても父を差別蔑視をする人間がほとんどだった。心ない言葉や二度見三度見といった視線を投げかける看護師もいた。あの人達からみれば父は最初から障害者なのだ。交通事故の被害者よりも脳外傷を負った障害者なのだ。健常だった父をみたこともないのだから致し方ない。それでも第三者行為による被害であるといことを忘れないで欲しかった。そうした家族の心情などお構いなしの彼らの言動による病棟での二次被害は本当に傷つくし心が何度も折れそうになった。 

言語療法が始まる

 なんとか少しでも精神障害を治せないかと元通りに回復させたいと健常の父を取り戻したいと当時はそればかり考えていた。今は現状維持。ただこれ以上悪化させないことを目標にしている。高次脳機能障害は認知症と違い、受傷時が一番悪く、あとはリハビリで回復していくのみ。受傷時以降進行しない障害だ。しかし、知識がない人間は認知症と同じように扱う。高次脳を進行性のものと誤った解釈をする人間は跡を絶たない。医療や福祉関係者でさえ知識不足の人間は、認知症と同等の扱いをしてくる。そのたびに嫌な思いを、この頃から十数年繰り返し味わう日々となる。

 前述したとおり父の身体は回復し始めたが、脳は容易には回復しない。そのため問題行動が増え投薬は劇薬に、その結果 、父は薬漬けでドロドロにされた。目はうつろで涎を垂らす姿は見ていられない。ひとりで用を足すこともできない。でもそうでもしなければ看護師等もたまったものではないのだ。それくらい人格変貌は酷かった。こんな人ではないのに。育ちや生まれのせいではないのに。交通事故のせいなのに。加害者の暴走運転のせいなのに。なぜ父がここまで悪者扱いされるのか。そして嫌いな患者の家族も嫌いと言わんばかりに私への風当たりも強くなっていく。

もう無理だ

 ああ、もう無理だ。心底そう思い出したのがこの時期である。
仕事は辞めた。並行して学んでいた通信の大学も休学した。縁談も断った。今後の刑事・民事といった裁判等、事故処理が私を待ち構えている。体中に内出血の痣が広がり横たわる父に深夜まで付き添いながら、ボストンバックに詰め込んだ数々の書籍を読み込めば込むほど、腹を括るしかない状態に追い詰められいくのは想像に難くなかった。


当時のmixi日記より抜粋