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[高次脳機能障害]どんどんおかしくなっていく父

[備忘録]交通事故から43日目【高次脳:朝か夜かがわからなくなる 】

2009-04-20 20:15:48


回復とともに後遺障害も表面化

父の体の回復力は私からみてもすさまじかった。さすがスポーツ万能で学生時代から様々な部活動の助っ人をしていただけのことはある。子供会のソフトボールのコーチも20年ほどやっていたし、事故時は地元のソフトボールのリーグに所属していてキャッチャーをやっていた。常に運動をしてきた人の体の丈夫さには頭が下がる。しかし脳は元には戻らない。体が回復すればするほど、脳の損傷が、後遺症が表面化してくる。ベッドに横たわっているだけでは分からなかった脳外傷の後遺障害の深刻さが日に日に心にのしかかっていた。

人々の視線 ひとつで心が折れる

車椅子で日光を浴びさせたいと思い。病室から外庭まで行くのだが、暴言はとまらず周囲に二度見三度見される。車椅子から落ちそう二鳴りながらも身を傾け骨折していない方の手を伸ばし花壇の柵代わりのロープをぶんぶん引っ張り回す父。そんな父を、変なものを見るような目でこちらをチラチラみるご婦人。顔をしかめる男性。こうした視線に何度傷ついたことか。人は言葉だけでなく視線でも相手を打ちのめすことができるのだ。これも交通事故の二次被害と言えるのだろう。

このような視線は、現在の母にも射るように飛んでくる。昨日、母の通院帰りにスーパーに行った。父が精神障害者になってしまったショックと酷い落ち込みによりパーキンソン病を発症した体が不自由だ。車椅子でスーパーに入ったとたん、凄い顔をした女性が何度も母へ不躾な視線を投げかけていた。歩を進めれば振り返ってもう一度。背をまるめうつむいていてもこちらを見ているのはわかる。もう少し距離が近かったら声をかけていたかもしれない。所詮人間だ。そう思うことにした。

17年経過しても過ぎ去った過去にはできない交通事故

加害者の暴走運転の先には、どれだけ家族の苦悩や苦しみがあることか、彼女らは想像すらしないだろう。想像したくもないのだろう。相手に対する優しさも思いやりも謝罪の意識も皆無なのだ。最初から最後まで自己保身だった。自分さえ良ければいい人種だ。いまやもう交通事故などなかったことにして暮らしているだろう。見舞いの事実を作るために来た加害者の夫も、コンビニ駐車場から父を盗撮した加害者の息子も、裁判記録を受け取りにきた加害者の娘も、17年も経過したのだ、何食わぬ顔をして、もう忘れ去った過去として日常を過ごしているだろう。

しかし私は今もこの後遺障害に苦しめられている。この交通事故は過ぎ去った過去にはならない。今現在も私を苦しめる人生最大の事故なのである。ワンオペでW介護をしている私のほうが両親より先に命がなくなるのではないかと思うくらい壮絶な毎日だ。その日その日を生きるだけが精一杯。介護うつにもなる。私はケアマネからの助言で、自分自身の手帳を申請し、ヘルパーもつけ訪問看護、訪問リハビリも受けながら、抗うつ剤、精神安定剤、睡眠薬がないと生活出来ない状態だ。これらの薬が手放せなくなったのは事故から2ヶ月経過したあたりからだ、ずっとずっと自分の心神症状とも闘いながら、介護を続けている私にとって元凶となった加害者の暴走事故は死んでも忘れることは出来ないだろう…。

そう思ってしまう自分が哀れで惨めに思うことも多々ある。交通事故とはこういうものだということを、交通事故数件という数字化しないでほしいと思うが、人々にとっては交通事故は記号のひとつのようにしか感じられない物だろうとも思う。クリティカルシンキング講座で、私は交通事故問題点を取り上げ、人々の無知・無理解・無関心について問題提起した。その際、自分は運転しないから交通事故は関係ないと思うから「無関心」だと言ってきた受講者がいた。車の運転をしなくても家族や大切な人が車に跳ねられる事態に見舞われたらそれでも無関心と彼は言うのだろうか。