見出し画像

[備忘録]31日目【高次脳:医師も看護師も信用できなくなった日

2009-04-08 21:02:14

当時の記録をみると、医師も看護師も信用できなくなった事にしか触れていない。事故用のmixiのアカウントにログインできれば確認することができるのだろうが、アカウント自体存在しないとmixiから返信がきた。(学業用アカウントは残存している。)交通事故の目撃情報を募った区のコミュニティーも2009年からに変わっており、それ以前の情報は末梢されたいた。

この頃、父の体が快復すればするほど、医師への暴言を酷くなり、食べ物を探して徘徊する回数もおのずと増えた。ゆえに彼らの私へのあたりはきつかった。労災を申請しようと思うくらいだと。ゆえに転院をしきりと口にするようになる。彼らは一刻も早く、この厄介な患者を追い出したかったのだろう。しかし受け入れ先は容易にみつかるはずもない。小泉内閣が病院のベッド数を大幅削減した真っ只中だったからだ。

NASVAの療護センター

そんな折、幾度となく見舞いに来て下さった父の取引先の担当から、NASVAはどうかと打診があった。NASVAの療護センターなら受入できそうだと。

現在のNASVA療護センター入院の要件をみると、試してみる価値はあると思えるが、2007年当時はここまでの組織ではなかった。設立の経緯からみても、17年前ではまだまだ組織が機能しきれていないのが分かる。

父が快復する前だったら受入てもらえたかもしれないが、自力歩行ができるまでに快復していた。そして遷延性意識障害者ではない。この時点でNASVA療護センターでの承認は無理だっただろう。

しかし、こうした交通事故専門のところだったら適切な支援も受けられたかもしれない。父は事故当時62歳だった。当時私は障害者年金というものがわかっていなかった。医師の説明不足で理解が足りてなかった。厚生年金か国民年金かたずねられたことがあったのだが、障害者年金の受給手続きの話まで及んでおらず、私は公的年金がどちらか聞かれただけだと思いこんでしまっていた。

そして障害者年金の申請ができるのを知ったのは令和になってから、そのうえ年金機構に相談にいったのが昨年なのだ。事故から16年にして障害者年金の申請をしたところで公的年金の受給がはじまってしまっているため、ほぼ意味のない申請になる。むしろ申請のために奪われる労力や時間のほうが甚大だ。担当者には、もう公的年金をもらっているのだからよいのではないかと言われた。

転院直後、自立支援や精神障害者手帳の申請については窓口でも事細かに説明してくれた先であったが、障害者年金についてはケースワーカーにも教えてもらえなかった。申請できることを知っていたら、経済的な支援も受けられていただろう…。

NASVA中部療護センター

数年後、私は柳原三佳さんの取材に同行させていただき、NASVA中部療護センターに入院していらっしゃる方のご家族に会いお見舞いもさせてもらった。父より重度の入院患者の方々に胸がしめつけられる思いだった。そして、更にご一緒にとお声がけいただいて、その足で、巻子さんとご主人にもお会い出来ることになるのである。