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本当は怖くない「ダイバーシティ」

先日、学生さんから、「エンジニアでも、男性を立てられる女性だけが昇進できるって聞いたんですけど、そんなこと本当にあるんですか?」といった内容の質問をいただきまして、「もしかしたら私が知らないだけでそういう環境もあるかもしれないけど、あなたがその環境を不安に感じたなら、そこを敢えて選ぶ理由は全くもってありません」といった回答をしました。

#技育祭 質疑応答で触れた件。「女性だから◯◯しなければならない」などの価値観が多数派の環境があることは事実かもしれませんが、私は差別のある環境を苦痛に感じますし、あえて我慢する必要もないと思います(LayerXを始め、これまで所属してきた会社はそういう社風ではありませんでした)

「あなたにはこういう適性があるから、◯◯してほしい」というメッセージを、「女性だから」と結び付けずに真摯に伝えてくれるような人々との出会いが、皆さんにあることを願っています…!

https://twitter.com/ar_tama/status/1715939663440122023

前提として多様な性自認などのグラデーションがある世の中で、同質性をできるだけ廃し、多様な価値観を織り合わせてイノベーションを起こそうとしているTechの業界で、差別を廃止こそすれ、敢えて助長することのメリットは万に一つもないはずです。またこれは性差に限った話ではなく、あらゆるマジョリティ・マイノリティの関係に当てはまる観念です。仮にあなたが「当社では性自認が女性の方には特定の役割を担っていただきます」という組織に属するか迷っているなら、自分にとって合うと感じるかどうか、で決めたらよいと思います。

同質化の罠

書籍「多様性の科学」では、「問題空間をカバーして解法を導くこと」において、単一の視点のみしか持たない集団よりも、多様なバックグラウンド・多様な視点を持った集団のほうがカバー率が高く、結果パフォーマンスも高い、といった例が紹介されています。

私たちは良くも悪くも、バイアスと常に付き合わなければなりません。人間の脳は多くの情報をカテゴリ分けして処理することで負荷を軽減していますが、それにより、粗いカテゴライズばかり見てその人本人を見ないようなコミュニケーションを取ってしまうリスクがあります。

同質な人同士でのコミュニケーションは、語彙が始めから揃っていたり、視点が似ているので議論が早く収束したりと、ともすれば「一緒に仕事がしやすい」と感じることも多いように思います。しかしながら、視点が同じということは、視界が限定的であるということの裏返しでもあります。見えていない多くの盲点を付かれてビジネスが立ち行かなくなる前に、多様な視点を取り入れてカバーしなければいけないフェーズが必ずやってくる。そのために、多様なバックグラウンドを持つ人たちの、多様な視点が必要なのです。そしてその「多様」は決して、性差だけではありません

ダイバーシティは、実は「下駄を履かせること」ではない

ダイバーシティ推進における一番の悪手は「基準点に満たなくても(マイノリティだからという理由で)採用する」なのではないでしょうか。これは採用された人たちの自信を損なうことにも、周囲からのレッテルによる差別を助長することにも繋がり、まさに百害あって一利なし、です。あくまでもフェアに評価する。多様な価値観を獲得するために、間口を広げ、リーチできる対象を増やす。それが本当のダイバーシティ推進なのだと思います。

「優しさ」から来るアンフェアなことって、社会のなかにたくさんあると思うんです。「子育て中だから仕事を減らしてあげよう」「リモートワークだから配慮しよう」とか、一見「優しく」見えますが、選択肢に制限が生まれることは「フェア」ではないですよね。

LayerXはどこまでもフラットでフェアな会社なので、そういう上辺の「優しさ」はありません。ただ、本質的に優しいメンバーが集まっているので、過度に身構えなくて大丈夫。「あるべき厳しさ」が、自分の気づきや成長につながり、人生の波を掴む力を養うので、どんなことも自分で選択をして、自分で責任を持てる人にとっては、最良の環境です。

「LayerXは優しくない」フルリモートマネージャーが語る“リアル”の真意(#LXエモカレ)

こちらはLayerXで子育てをしながらフルリモートで働いている藤井さんのインタビューですが、まさにありがちな差別を「優しさ」というワードでうまく表現されているなと感じながら読んでいました。根本的な優しさや、相手を慮る気持ちを持つこと自体は大事だけど、本人の意図しないところで制限をかけることはフェアではない。アンフェアな「優しさ」は、あえて露悪的な表現をすると「お情け」となってしまう可能性すら孕みます。善意はバイアスによってマイナス方向に転じることもあるという、恐ろしい例の一つだと感じます。

ダイバーシティは、実は「難しくてめんどくさい」ものではない

一般的には、ある環境においての多数派が少数派を慮ることは、とても難しいこととされています。価値観は環境によって形作られます。これまでAが当たり前の環境にいたのに、ある日突然Bが正しいと言われても、正直ピンとこない方も多い、というのは頷けます。

この難しさが何からくるものなのかというと、表層の事象を無理やりパターン化しようとするところからなのではと私は考えています。例えば「会社では女性の容姿に言及してはいけない」というルール認識だと、無意識に「男性へのイジリはOK」に転換されてしまうような、そういった状態です。

では、どうすればよいのか。答えは「個に向き合うこと」なのではないでしょうか。例えばあなたがマネージャーなら、「女性らしいきめ細やかな感性を活かしてこのプロジェクトをフォローしてほしい」ではなく「あなたのこれまでの働きぶりから、きめ細やかなフォローができることが強みだと感じた。その強みをこのプロジェクトでも活かしてほしい」と、解像度を高くして言い換えるだけ。実は相手の特性を表現するのに、区分けは必要ないのです。

またどんな表現を快く感じるか・不快に感じるかというのは人によって様々です。その基準を探るためには、相手との対話が不可欠。個々の対話によって自身の、そして組織の認知をアップデートする過程によってこそ、組織の多様性は育まれていくのだと私は思います。

おわりに

ジェンダーギャップやマイノリティへの言及は、正直なところ「難しい問題なので言及を避けてきた」のが本音なのですが……、大人の意図しない言動によって若者が未来を閉ざそうとしている、まさにその現場に居合わせたことから、自分は何ができるだろう?を考えた結果を書き取ってみた、というのがこの筆を執った経緯となります。

「バイアス」は誰にでもあり、もちろん私にもたくさんあります。ただ、あるということを認めて、相手との対話を諦めないことこそが、世の中を今よりももっと生きやすくする一歩につながるのではないかと信じています。

この記事が、皆さんのバイアスを見つめ直す一つのきっかけになれたら大変うれしく思います。

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