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不思議と素敵で溢れているこの世界。

先日、祖母が亡くなった時のことを書いた。
書くことで心が救われ、noteの存在に感謝。

今回は、前回の祖母の死の後に起こったことを書こうと思う。
この世の中は、不思議なことでいっぱいだ。
そんな気持ちが、悲しみを追い越していったことを書こう。



祖母が亡くなって、お通夜と告別式が執り行われた。
私はその期間、毎日お線香を焚いて
その場に居れないことへの後悔と悲しみで
涙を流せるだけ流した。

祖母の告別式が終わった日は、毎日していた両親への連絡を
きっと疲れているだろうからと思い、しなかった。

そして翌る日、珍しく弟からのメッセージが届く。

「おじいちゃんもなんて辛いね」
短い一文を読んでハッとする。え、嘘でしょ。

一瞬意味がわからなかったけど、祖父が亡くなったという連絡だった。
母から私にも連絡が入っているだろうと思ったのだろう。

次の瞬間、なんだか、そのことが夢ではなく現実であると
すぐに飲み込めたのがまず不思議だった。
祖母の時は号泣したのに、祖父の時は違ったのだ。

その後、弟と数回メッセージをやり取りをして
取り急ぎ、お互いを慰め合った。


祖父は、祖母の死の1週間ほど前に一度危篤になり
祖母より心配な状態だったので、
祖母の時には「まさかおばあちゃんが先に逝ってしまうなんて」と
心から驚いた。

しかしその後に今度は、祖父が祖母の後を追うように逝ってしまうなんて。
これではまるで出来すぎの脚本みたいだ。
私はなんだか違う意味で意表を突かれてしまった
祖父は、自分の人生の幕引きで、愛する人を追いかけるように、この世を去ったのだ。


祖父の人物像をここで少し説明する。
私の祖父は、私にとって、かっこいいおじいちゃんだった。
若い頃に海外で仕事をしていたり、切手収集やカメラ、お茶など
凝り性で趣味人。家の中はごちゃごちゃと祖父の収集品で溢れていた。

大きなトカゲや亀の標本や、バリ島の踊りの時の仮面や人形など
よくそれらを身につけて踊ったりして、おどけてみせて笑わせてくれた。

少し気分屋のところもあって、一緒にカードゲームをして
自分が負けると、本気で怒って部屋をでていってしまったり。
大人だけど、大人じゃないところもしっかり持っている人だった。

大学生の頃、学芸員資格を取るために、美術館での実習が必要で
私は祖父母の住む岡山県の倉敷にある大原美術館が好きだったので
研修期間、祖父宅に滞在させてもらって、実習を受けることにした。

実習期間中は、祖母の美味しいご飯を食べ、大原美術館までは
祖父が車で送り迎えをしてくれた。
私の初めての一人暮らしをした国立の小さなアパートにも
様子を見に、岡山からわざわざ足を運んでくれた。

その頃、2人が初めてのデートで観た映画を教えてもらい
2人がその時のことをよく覚えていて、嬉しそうに話してくれた。
後日、大学図書館でその映画を見つけて見た。
確かキャロルという頭のいい小柄な女性と足が悪い男の人の
恋愛映画だった。タイトルを忘れてしまい、内容を検索してみても
出てこず、残念。

長年、大きな病気とも戦ってきた人だった。
人口肛門を何十年もつけていたことは、私が社会に出て
だいぶ経ってから知った。


そんな祖父が、逝ってしまった。
弟からの連絡の後に、お葬式の後にまたお葬式で、バタバタ状態の母から
連絡があり、祖父の死がどんな様子であったかを教えてもらえた。

祖母の告別式のちょうど終わった頃に、病院から連絡が入り
少しよくない状態だと一報が入った。
でもまだ駆けつける段階ではないと言われたので、親族で夕ご飯を
食べた。ちょうど食べ終わった頃に、また病院から危篤の連絡があり
祖父の元へ急いで向かった。
父母、叔父叔母が駆け付けて祖父の枕元に4人が揃ってから
1時間ほどして、眠るように息を引き取ったそうだ。

「おじいちゃん、おばあちゃんのことが大好きだったからね。
おばあちゃんの告別式の邪魔をしないように
逝くのを待っていてくれたのかもね。」と、母談。
「おばあちゃんをこの世に1人で残していくのはかわいそうで
おばあちゃんが逝くまで、頑張って待っていたのかも。」と、義妹談。

そして私には、しっかり者の祖母に手を引かれて
空へと上がっていく少し嬉しそうな祖父の様子が思い起こされた。

そんな姿を想像すると、やっぱり祖父がこの世から
いなくなってから2週間経った今でも
涙が頬をつたっていく。


祖父と出会えたことへの感謝。
たくさんの幸せな時間を過ごさせてくれたことへの感謝。
でもやっぱり、こうやって一つの時代が確実に去っていき
人の命には限りがあることの無情さを思わされて、悲しい。


よく、人の話で聞いていた、夢枕にはまだ出てきてくれないが
祖父の告別式の日に、会場に居る母に電話を繋いだ瞬間
家の電気系統がダウンしたり、その数日後にも
息子とクッキーを台所で作っていたら、台所の照明が
ワンワンとまるで誰かが会話しているように点滅したりした。

よく人の話や映画に出てくる手法だけど、やっぱりこれも起こるものなんだなぁと妙に納得。
私の心の師匠と思っている、ある芸術家の方が教えてくれた
全ての創作物は、現実にあったことからできているという言葉を
思い出す。

かっこいいおじいちゃんの、かっこいい人生の幕の閉じ方に
孫である私は、この世の中には小説や映画より、もっと不思議で
素敵なことがまだたくさんあるはずだから、しっかり前を見て
生きて行かねばと、背中を押されたのだった。


※写真は、この夏訪れた祖父母も菩提寺の総本山である京都の仁和寺で
買ったお線香。境内で焚いていて、いい匂いだなと思い購入。
まさか、その後すぐにフランスで使うことになるとは。
お線香を包んであった包装紙を捨てるのも寂しいので、何度も読んで表紙が
傷んでいた平松洋子さんの文庫本を包むブックカバーにした。














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