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『目黒のこと』――イケメン好きのお姉さま、お母さま必読ですなり( 〃▽〃)(8490文字)

目黒のことを書く。

高校時代、僕は自転車で通学していた。
自宅から学校まではおよそ8キロ。バスで通うこともできたが、通勤通学の時間帯には道が渋滞するため30分ほどの時間がかかった。自転車で走っても30分だったので、ドロップハンドルの自転車で僕は、県道をバスやトラックすれすれの危なさで走り、途中から脇道に逸れて田園地帯を走り、立ち漕ぎしなきゃのぼれないような坂をはぁはぁ言いながらのぼって学校に毎朝たどり着いていた。
ある朝、田園地帯を走っていると前方にグレーのブレザーの背中が見えた。追いついて、追い越しざまにちらりと見たら、その男は目黒だった。中学時代の学友。
「あれ??」と僕は驚いた。
「よう。あひろ」
と目黒はのんきな声で言った。
「なんでこんなとこ歩いてんの? 学校は?」
そう尋ねると、目黒は、
「通学中」
と短く応えた。
「え? 歩いて?」
「おう」
目黒は県立東高校の一年生だった。僕の通っている西高を通り過ぎ、さらに2キロほど坂をのぼった先に東高はあるのだった。
「歩いて通える距離じゃないだろ?」
「いつかは着くさ」
「何時間もかかるだろ?」
「2時間目と3時間目の間くらいには着くんじゃねえかな」
「そっか、早弁タイムには間に合うな」
などと僕がバカなことを言うと、
「そういうこった」
と返して目黒は面白そうに笑った。
目黒の歩く速度に合わせてゆっくりとペダルを回しつつ、
「なんで歩くんだ?」
と尋ねてみた。
「リーヴァイス買ったから」
と目黒は応えた。
曰く、親からもらった定期券代をジーンズを買うのにつかってしまったからバスに乗れないのだと。
それで歩いてるわけだ、と僕はまた驚いた。
そんな目黒を残して走り去ってしまうのはためらわれたが、付き合って遅刻するのもそれ以上にためらわれたので、
「じゃ、まあ頑張って」
と言って僕はペダルに力を込めながら目黒の顔を見た。
「おう」
と返して目黒はニヤリと笑った。
確かに似てるな――。
と僕は思った。
中学時代、目黒は、コンドウマサヒコをいくらかカワサキマヨに寄せたルックスだと言われて女子生徒からモテていた。ニヤリと少し照れくさそうに笑った顔は実際カワサキマヨによく似ていた。背も高いし、ヘアスタイルも先端的だったし、女子にモテないわけがなかった。ファナティックな女子なんて、メモ用紙に描かれた真っ黒な瞳を、スカートのポケットに忍ばせて持ち歩くほどだった。
僕にその紙を見せながら女子は言ったのだった。
(これ、私が目黒くんを好きだって証拠の御守りなの!)
真っ黒な目ン玉すなわち目黒だってか――!
女子中学生ってのは、今思い出してみても実に恐ろしい存在であるな。
ともあれ、そんなイケメンの、カワサキマヨみたいなスマイルに見送られながら、あの日、僕はペダルを踏み続けたのであった。

だなんてことを先ほど出し抜けに思い出し、だもんだから書いてみる。目黒のこと。
イケメン好きのお姉さまやお母さまにおかれましては、楽しみに続きを読まれたまえよ、わっはっは。

目黒が転校してきたのは確か中学三年生のときだった。湘南地方の学校からの転入だった。
前の学校で何やら問題を起こした……みたいな噂が流れていた。
確かに目黒は、裏に龍が刺繍された長ランを着ていたし、詰襟のカラーも白じゃなくて赤だったし、カバンの中には煙草を隠し持っていたし、それなりの武勇伝の一つや二つを拵えていても全然不思議じゃなかった。
だからだろうか、女子にこそは人気でも、男子生徒からは距離を置かれていた。
ある日の放課後、アルバム委員の男女がクラスのみんなに呼び掛けた。校庭の桜の木の下に集まってくれ、と。
アルバム委員というのは卒業アルバムの編集に携わる係のことで、彼らはその日、クラスのみんなのスナップ写真を撮ろうとしていたのだった。
花も葉も散ってしまった樹の下に僕らは集まった。
(自由な雰囲気で撮りたいので、各自好きな者どうしてテキトーに群れてみてください!)
とかなんとか委員は言った。
男子は男子、女子は女子で数名単位のダンゴになった。
委員が撮影してゆく――。
目黒は――。
見ると、独りで樹に凭れていた。
(カッコつけやがってよう)
みたいに言うヤツもいたが、目黒がやるとちゃんと絵になった。カンコー学生服のCMに使えそうだった。
でも、と僕は思った。いくら絵になっても、卒業アルバムに一人だけ独りで寂しげに写ってたら悲しいんじゃないかなあ。
女子たちは目黒を遠巻きにしてひそひそやっていた。
かといって……、とまた僕は思った。女子たちに取り巻かれて写っている男単体――ってのも、これまたやっぱりナンだよなあ。
だから声を掛けてみた。
「ねえ、目黒」
「あ?」
と言って野良猫みたいに目黒は僕を見た。
「オレと一緒に写ってくれない?」
目黒の目が不思議な光り方をした。続いて、
「いいけど――」
と低い声がぼそぼそと応じた。
そのとき撮影された写真は、結局アルバムには採用されなかった。
だから僕は、長身のイケメンの横でおどける小柄でやせっぽちな黒髪マッシュの中学生の写真を目にしてはいない。
でも、あの日のツーショットを、もしかしたら目黒は心の内に保管しておいてくれたのかもしれない。
今回この文章を書き起こしながら僕はそんなふうに思う。
だってそのあと、そうとしか思えないいろんなことがあったから――。

イケメン好きのみなさま、ちゃんとついてきてくださいね?

僕らの中学には男子更衣室と女子更衣室があった。更衣室とはいっても、ロッカーがあるわけでもなく、10畳くらいのガランとした部屋だった。
登下校のとき男子は学ラン、女子はセーラー服。それを登校後ジャージに着替え、下校前にまた着直すというのが日課だった。更衣室にバッグを持ち込んで、三々五々そそくさと着替えることが習慣だったわけだ。
事件はその更衣室で起こった。
そのとき、男子更衣室の中には僕と井垣の二人がいた。
井垣というのは、地元のヤクザの息子だと評判の生徒だった。
地元――と書いた以上、そのあたりのことから説明しなきゃいけないかな。
僕らが通っていた中学は村の集落の中にあった。そこいらで古くからぶいぶいいわせていたのが井垣の父親だった。古きよき世界の住人。
ところがあるとき、山が切り開かれて新興住宅街が作られた。広大な用地に、新しく家を建てたファミリーが次々と移り住むようになった。僕らの家族もまあその内の一つだった。
一年生のときに関西の中学から転校してきた僕だったが、その後毎年幾人もの転校生を迎えることになった。目黒も、その内の終わりの方の一人だったわけ。
さて、井垣。彼の親父――まさに親分なわけだがこの人は、押し寄せてくる移民のパワーに圧されてしまったのか、ぶいぶいの声が小さくなってしまった。
それに呼応するかのように井垣も、見た目こそは髭が濃くて、髪がもじゃもじゃで、体も大きくカバのようだったが、その勢いは年々衰え、中学生を形容するにはいささか滑稽であるが、えいやっとたとえてしまうなら好々爺の雰囲気を醸し出していたのである。
とはいえ――。
とはいえである!
元々はヤクザの息子だったのだ。彼が歩けば泣く子も黙る任侠の漢だったはずなのである。
なのに――。
あの日、彼でさえ僕を助けてはくれなかった。
三嶋が更衣室に入ってきたとき、井垣は丁度上半身が裸になっていた。中学生なのに立派な胸毛が生えていた。
中三で胸毛だなんてヤクザの息子はさすがだなあ、なんて僕がぼんやりした調子で思っていると、入ってきた三嶋がツカツカと真っ直ぐに僕に向かってやってきて、それからいきなり平手で僕の頬を叩いた。
思い切りはたかれて、何が起きたのかわからなかった。
視界の端っこで井垣が、小さな目を見開いて驚いていた。
「ってえな!」
とかなんとか僕は言ったと思う。
すると三嶋は、
「当たり前だろ? 叩いてんだから」
と冷たい目をして言って、また叩いた。
三嶋は実に蛇のような男で、見るからに薄気味悪いヤツだった。
中二あたりの転校生だったように記憶している。一度も同じクラスになったことはない。
浅黒い肌がいくらか青みを帯びているような風貌で、中学生のくせに頬に十字の傷痕なんてあってほとんど漫画みたいだった。
噂によれば前の学校で「天才」の称号を得ていたらしい。頭がよかったのかもしれない。
日頃から何を考えているのかわからないヤツだったが、ナイフのような凶暴性を感じさせる彼に、僕は関わったことがなかった。
幾度か僕を打ち据えてから三嶋は、背中を見せて去ってゆこうとした。
「ちょっと待てよ」と背中に言った。「いきなりなんなんだよ?」
三嶋は戻ってきた。
そしてまた殴打してくるのだった。
青い顔をしながら三嶋は、
「秀才! この秀才め! 秀才っ!」
と言いながら僕を叩いた。
ひとしきり叩いたあと三嶋は、また背中を向けて出てゆこうとした。
が、僕の
「ちっくしょう!」
という呻きを耳にしてまた戻ってきたかと思うと、
「なんか言ったか?」
とかなんとかドラマみたいな台詞を放ちつつ、今度は拳を固めて僕を殴った。
僕は転がった。
「いってーだろっ!」
と声に出る。
「またなんか言ったか、この秀才野郎っ!」
立ち上がった僕の腹に膝蹴り。
エビのように丸まりながらも僕は言う。
「秀才秀才って、なんでそんなに褒めてくれちゃってんだよ?」
三嶋の顔が真っ青になった。
ぼこぼこにやられた。
更衣室を出てゆく背中にもう何も言い返せなかった。
ドアが閉まったあと、倒れている僕に誰かが駆け寄ってくれた。
井垣だった。
そういえば井垣がいたんだっけ――と僕は思った。ヤクザの息子でも三嶋を止められなかったんだなあ。
井垣がカブトムシなら三嶋はさしずめクワガタのイメージだな。クワガタはカブトムシより強いのかな?
なんてのんきなことを考えている僕を、カバのような男は申し訳なさそうに見て、それから言った。
「勉強ができるってのも大変なんだなあ」
あちこちが痛かったけど、笑えた。
合点がいったのだ。
学力テストの順位がはり出される学校だった。
転校してきて以来僕はずっと1番だった。
三嶋が何番だったのかなんて知らない。
ともあれ「天才」を自認していた彼のプライドを僕のあり方がひどく傷つけたのかもしれない。
――だもんでオレを「秀才」認定か。クレイジー野郎め。
と僕は心の中で勇ましく思った。
――ガリ勉野郎!
とかだったら悪口に遣えそうだけど、
――秀才め!
ってなんだよ。褒めてくれてんのかよ?
天才と秀才だったら天才の方が偉いってか?
僕は確かにガリ勉タイプじゃなかった。
「あひろは俺たちと一緒にこうやって遊んでんのによう……」とイガグリ頭の真島は言った。「なのに勉強できんだからキチガイみてえにすげえよなあ」
試験前の放課後、公園で三角ベースだったかをやっていたときのことだ。
そういえばのちに目黒にも似たようなことを言われた。
町外れの用水路脇で煙草を教えてもらっていたとき。
「高校行ってさ、タンベもキメてなかったらバカにされっからな」
と言って目黒は煙草を分けてくれた。
パートナーという名前の煙草。白地に2つ、大きな星と小さな星が、重なり合って輝いているようなパッケージだった。
「おまえってば勉強できんのにさあ……」
冷たい空気に煙を溶かしながら目黒は溜め息みたいに言ったのだった。
「なーんでこーんなにアタマワルそうなんかな?」
言い終わってから目黒はカワサキマヨみたいに笑った。
もう一つ思い出した。
僕は学級委員をやっていたのだけど、その役目の一つにクラスメートの遅刻や欠席を記帳するというのがあって、しかたなくそれをやっていたら、ある日目黒に、
「ガムやるから今日の遅刻つけるの勘弁してくれ」
と言われた。
「賄賂か?」
と僕は訊ねた。
「賄賂だ」
と目黒は応えて、やっぱりカワサキマヨみたいに笑った。
「しかたないな」
と言ってガムをもらい、くちゃくちゃやりながら授業を受けた。なんだか嬉しかった。
「おまえってほんとにバカだよなあ」
と目黒も嬉しそうだった。
目黒も僕も、遅刻や欠席云々なんてどうでもいいことだと思っていた。
映画『ライト・スタッフ』で、パイロットとメカニックがガムのやり取りをするシーンがあるのだけど、長じてそれを観たときも僕は目黒のことを思い出したっけなあ。
――話を戻すと、そんなわけで僕はまあガリ勉だとは思われていなかったフシがある。
だからって「秀才」ねえ。どう考えても褒められてるようにしか思えないよな。
天才が秀才を殴っているのをヤクザの息子が見て――、だなんて考えたら可笑しくてしかたなくて、井垣に同情されながらも僕はそう悪くない気分だった。
数日経って噂が広まった。
あひろが三嶋にぼこられた、と。
「本当なの?」
と放課後の教室で女子に訊かれた。
不名誉なことだったから認めたくはなかったけど、嘘を言うわけにもいかない。
「うん、まあね」
とかなんとか言って認めた。
少し離れた席にいた目黒が立ち上がった。
その表情と、教室を出てゆく後ろ姿を見て、何が起こるのかだいたい想像がついた――。
それから三嶋は1週間くらい学校を休んだ。体調不良とのことだった。
やがて出てきた三嶋と、廊下で鉢合わせて僕は気まずい気分だった。
ところがだ、僕に気がつくと三嶋は下を向き、廊下の端っこに寄った。
すれ違いながら僕は、目黒の仕業だな、と直観した。
散々殴られたあとに脅されたんじゃないかな、三嶋は。(今度あひろに何かしたら……)みたいに。
だなんて想像していると、後ろから伸びてきた腕に首を抱きかかえられた。
「よっ、あひろちゃん、購買行こうぜいっ!」
目黒だった。
僕は弁当を持参していたのだが、目黒はいつも購買部で買ったパンを昼メシにしていた。
仇をとってもらったお礼にカレーパンでも買ってやろうかと思ったが、やめておいた。
三嶋のことなんて、目黒は何も言わなかったから。
カワサキマヨみたいな笑顔と並んで購買部に行き、僕は自分のぶんのヨーグルトドリンクを買い、それから三嶋のことを忘れた。

目黒が通っていた県立東高校は、目黒たちの代が入学する前年まで完全な女子校だった。
「センパイみんな女、女、女っ!」
と、東校に入学が決まった樋口は嬉しそうに言った。
樋口は大阪三羽ガラスの一人だった。
大阪三羽ガラスというのは関西地方からの転校生の三人組で、そのうちの一人が僕で、もう一人が樋口だった。残りの一人は中西だった。中西は高校を卒業した年の夏、バイクの事故で死んでしまった。だから今は二羽ガラスかな。樋口が生きていればのことだけど。
ともあれ樋口の嬉しさは十分に理解できた。
僕の通う西高は坂の上にあったのだが、その坂を立ち漕ぎでわっしゃわっしゃとのぼっていると、左手の道を、グレーのブレザーで埋まったバスののぼってゆくのが毎朝見えた。
グレーのブレザーの9割がたは女生徒だった。まさに、女、女、女。
一度でいいから僕もそのバスに乗ってみたかった。先輩女子でぎゅうぎゅうのバスに。
僕の通う西高は、東校の真逆で、元々は男子校で、クラスの中で女子は端っこの席1ラインぶんしかいなかった。
詰襟の学ランがユニフォームで、生徒会より応援団が力を持っていて、新入生の教室になだれ込んだ応援団員が、校歌をがなりたてながら黒板を拳で叩いて血まみれにするのが毎春の恒例行事であるような学校だった。まさにバンカラ。時代遅れのスーパー硬派。県内一の進学校だったけど、その実は野獣の巣窟だった。
だから東校の軟派っぷりが少し羨ましかった。グレーのブレザーとか羽織って、ネクタイなんて風にそよがせちゃって、圧倒的な数の女子に囲まれてヤツらはどんな学校生活を送りやがるんだろう?
「想像してごらんよ」と樋口は言った。「夏になったらセンパイ方は、グレーのブレザーを脱ぐんだぜ。そしたらどうなると思う?」
「ど、どうなるんだ?」
「白シャツ姿になっちゃうんだよう。バスの中、白シャツのおねーさんでぎゅうぎゅうに……」
鼻血が出そうな情報だった。
そして気づいた。
目黒め、どんだけモテまくるんだろうか?
いやなに、自慢になるかもしれないけれど、この僕だってまったくモテなかったわけじゃない。ラブレターだってもらったことがあるし、クラスの女子による人気投票でも5本の指には入っていた。
でも、付けられた寸評はいつも『かわいい』で、『かっこいい』と評されたことはただの一度もなかった。たぶん、ぬいぐるみみたいに思われていたんじゃないかな。
その点、目黒は別格で、学校じゅうの女子から第2ボタンを狙われていた。
そんな男が、女、女、女な学校に……。
羊の群れに狼を放つようなもんだな、とカンネンした。
てなわけで3年間、僕は男にまみれて、目黒は女にまみれて高校生活を送った。

「おまえはいいよな、女にモテてさ」
と僕はナサケナイことを口にした。
高校三年生の秋、場所は目黒の部屋だった。
学校帰りに、毎日のように目黒の家に上がり込んでいた。
受験が近づき、なんとなく気忙しくて、それになんたって思春期だったんで、わずかな女子しかいない学校においても僕だって、フラれたり、フラれたり、フラれたりして心がいつもざわついていた。
飲み屋のママさんの元に通うサラリーマンのような心持ちで僕は、同じ住宅地の一角にある目黒の家を訪ねていたのであった。
目黒の家は共働きで、親は留守だったし、妹は自室で静かにしていたからまあ気楽だった。
目黒が毎回みかんジュースか、薄すぎるカルピスかなんかを出してくれた。
それで2時間も3時間も話し込んだ。
高校時代の真ん中へんでは接点が0だったのだが、卒業間近になって不思議な再接近を僕らは果たしていたってわけだ。
目黒は成長していた。
「これ、戦利品」
と言って自慢げにリーヴァイストラウスのジーンズを見せてくれたりした。
「定期券売ったのか?」
と尋ねると、
「いーや、カッパしてきた」
と応えた。
「いい歳してカッパとかしてんじゃねえよ。でもまあ徒歩通学になんなくてそこはよかったな。寒いもんな。風邪ひくとよくないからな」
と僕は否定的な肯定をしてやった。
目黒は何も言わず、カワサキマヨなスマイルをただ深くした。
ある日、どういった話の流れでだったかは忘れたけれど、僕は言ったのだった。
「おまえはいいよな、女にモテてさ」
みたいに。
すると目黒は応えた。
「オレだっておまえが羨ましいぜ。頭よくってよ」
見ると、いつものスマイルで。
「どっこいどっこいだよ」
とさらに目黒は付け足した。
「なんかさあ」と僕は言った。「こんなふうに毎日何時間もムダに話し込んじゃってさあ、オレたちってば、なんなんだろな?」
すると目黒は、僕の眼を見ないで、少し掠れた小さな声で言った。
「――親友、ってやつ?」
鈴の音みたいに響いた。
なんてこと言うんだ、こいつは??
目黒は薄く笑っていた。
カワサキマヨみたいなスマイルじゃなかった。
秋の芒みたいに笑っているのだった。
三嶋の一件を思い出したわけじゃない。用水路脇に漂ったパートナーの香を思い出したわけじゃない。買収されたふりして噛み締めたガムの味を思い出したわけでもない。
でも、いろんなことが僕の中にたゆとうていたからだと思う。目黒の言葉と、目黒の様子は、目黒と僕のありさまをとても上手にスケッチしていた。
寂しげな桜の木の下の、長身のイケメンと小柄な黒髪マッシュの写真、この世にはないけど、この世じゃないどこかにはちゃんと遺っていそうなそれを思った。

それから何年もの間、僕らは別々の人生を生きた。
雑誌の編集者になり、決まった場所で眠らないような忙しい日々を送っている僕に封書が届いた。
目黒からだった。
結婚式と披露宴への招待状だった。
相手はイノムー。
イノムーというのは井上睦美。中学時代の同級生だった。
へえ、と思った。さんざんいろんな女を移り歩いたあとに中学時代の元カノと結婚かよ。
出席に○をして、おまえらしいな、と手書きで書き添えた。
赤い縦ストライプの派手なシャツにイタリアンタイを締めて会場を訪れた。
ビール瓶を手にタカサゴに歩み寄り、新郎の隣の中年男性のグラスにお酌をしながら僕は告げた。
「いやあ、目黒くんには昔から、何をやってもかなわなかったんですよう」
すると新郎は、懐かしい笑みを深くして、
「何言ってんだか」
と僕に言ってから、中年男性に向かって続けた。
「こいつ人気雑誌の人気記者なんですよ。この前なんかテレビに出てましたよ」
眉を八の字にして笑う中年男性を、目黒の父親だと誤認していた自分に気づいた。
そうか、新郎の隣は仲人さんか。目黒の上司か恩師だったか。
「失礼いたしました」と僕は仲人に謝った。「目黒くんの父上かと勝手に思い込んじゃって……。馴れ馴れしい態度ですみませんでした」
仲人さんは八の字を深くしただけだった。
代わりに目黒が応えた。
「こいつ、バカなんですよう」
笑顔が炸裂していた。
「昔っからもう、ほんっっとうにバカで」
そんなに笑ったら……、と僕は思った。カワサキマヨじゃなくなっちゃうじゃん。
目黒の隣でイノムーも笑っていた。
僕も笑うしかなかった。

おしまい。


文庫本を買わせていただきます😀!