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日本では知らない人が多いエンハンスメント【日記2022/10/22】

従来において病気の治療のために用いられてきた医療技術を転用し、 健康な身体や精神の機能を向上させるために用いることを、

エンハンスメント

と言うらしい。本日のCoSTEPの講義では、専修大学の佐藤先生から、そのエンハンスメントに対する倫理を学んだ。科学技術が発達するにつれ、その対応をどうすれば良いのか問題に上がることも多く、この倫理観はとても必要不可欠な要素になっているようだ。

私が面白いと感じたのは、このエンハンスメントが日本では全然知られていないこと。私も初めて聞いた言葉だった。しかし、問題や議論となっている内容を聞いてみると、意外に近いところで起きていることが多かった。例えば、過去に陸上の強豪校では、貧血治療用の鉄剤注射が競技力向上の為に使用されていたらしい。取り込む酸素量を増やす目的だったようだが、内臓に悪影響をもたらすこともある。選手はまだ高校生。18未満の子どもが自分の意志でそれらを打っているわけではなく、指導している大人たちの圧力的なものがあったのだろう。

個人のレベルで判断できるなら、一般的な使用条件を定めることで解決できるかもしれない。しかし、集団つまり共同関係においてはどうだろうか。その中で、一人だけ打たないという判断は同調圧力がかかりできないだろうし、ましてや指導者が打てと言ったら、試合に勝つためには打つ流れになるだろう。

科学技術を、人身がプラスαで向上するために使用することによって、人よりも優位に立つことができるかもしれない。それは差別を助長するものになるのではないか、またそのプラスαの時の自分は過去の自分とは違うのではないか。様々な議論が飛び交うような、事例を見させていただいた。

しかし、上記したようにこのエンハンスメントは日本では、まだあまり浸透していない。欧米では、国や行政が何か規定を定める際には、その専門の社会学者だけでなく倫理学者や哲学者も同席するらしい。だが、まだ日本では社会学者しか呼ばれないと佐藤先生はおっしゃられていた。特に日本は、平等という言葉が好きな人種であると個人的に思っている。そのため、小さい頃から同調圧力が高い環境で学び成長しなければならないため、学校という共同体から社会と言うより広いところに出た時に、より差別が生まれてしまうように感じている。科学技術が発展するにおいて、このエンハンスメントは早急に日本で認知されるべき学問であるのではないかと考える。まさに、科学技術コミュニケーションの出番だな。

今日のひとこと

昔はカフェインもドーピングのひとつだったらしい

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