恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(1)拾う恋、捨てられる恋

 20世紀の恋の歌謡曲のかなり多くは、捨てられた女がまだ捨てきれぬ恋心を歌う唄である。そして戦後しばらくは、その捨てられる女は主に「酒場のおんな」であるとか「波止場のおんな」であるとかで場末の底辺の女性であった。

 1956年コロムビア・ローズの歌った「どうせ拾った恋だもの」(1956年 作詞: 野村俊夫  作曲:船村徹)もはっきりとは書かれていないがそういう境遇にある女性の唄だとおもわれる。しかし彼女は、「やっぱりあんたも」他の男とおんなじの不実な「きまぐれ夜風」だと冷めた認識を示して、「どうせ拾った恋」だから「捨てっちゃえ」ときっぱり振り切って、あとは「わたしはわたしで生きていく」という強い意志を示す。

 まだ女性の職業が確立されていない時代、女性の自立手段はむしろ底辺に生きて「水商売の女」になることくらいしかなかった。だから、「わたしはわたしで生きていく」という言葉はそういう女性にしか言えない言葉だったはずだ。まだまだ女性は「奥」で「内助」によってはじめて家庭の一員となれたのである。

 そしていわゆる良家の子女は、気まぐれ夜風のような男に決して捨てられたりはしない。そんなふしだらなことをするのは「良い女性」のすることではないと社会的批判を浴びるしかなかった。彼女たちは「お~い中村君」(1958年 作詞:矢野 亮 作曲:中野忠晴)の中村君のような夫の帰りを待ち、いずれ「こんにちは赤ちゃん 」(1963年 作詞:永六輔、作曲・編曲:中村八大)と言って新しい家族を迎え、家庭をつくっていくのである。

 底辺の女性にとって恋は拾うものだった。通りすがりの男がちょっと落としていくものを、一時のよりどころとし希望として生きるのだ。一方、そうではない普通の家庭の子女にとって恋とはなんだったのか。

 この時代恋とはなんだったのか。正直よくわからない。それは異性の間、特に健全な恋は若い男女の間に自然発生するものであり、夜空を見上げながらみつめあったり、心浮かれて君だけをと叫んだり、気持ちを知りながら別れてしまったりするものである。

 切なく悲しい別れがあっても、若者なら傷つかない、傷つけない。奔放な若さが特権。過ちは見ないふり。若者の恋だけはたとえ悲しい別れがあっても明るく楽しく歌われる。健全な恋は若者の独占物だったのだ。

 60年代まで、恋を描いた流行歌はステレオタイプの感情と行動を醸成していく。大人の恋には女の未練、青春にはどこまでも健康な恋。

 この傾向は洋楽においても変わらない。オールデイズの歌詞で恋は「fall in」するものでああ恋しちゃった、と感じるものだった。恋が個別の体験として等身大の言葉での歌となるのはたぶんビートルズ以降である。そしてそれはすぐに日本のものともなる。

 自身の体験としての言葉を獲得した流行歌は、捨てる側の逆転だったり恋することの意味を探すものとなっていくのか。どのような恋の歌がうまれたのだろうか。(つづく(予定))



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あらまああ

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