見出し画像

この先のこと

写真は2月にひまわり畑で撮った写真。沖縄の2月は最強で向日葵と秋桜と桜が一斉に咲き出すからまじで面白い。また写真撮り行こうと。

はい、ていうことで2投稿目、11月15日10:56にお送りするのは(2限間に合ったよ)、軸となったり目標となったりする部分を話そうかなと思います。

そもそもなぜ自分が生きているのか、っていうところで今の自分が考えは

『自分が幸せになるために』

っていうのが考えた上の終着点になってます。

全体的な、大きな目標なので抽象的な表現になっていますが、なぜ幸せになりたいか考えた経緯をアウトプットしていきますね。

生物学を専攻してる中で、生命の原理や多くの生物のことを学んできました。人間の中の構造について学んだり、生命の起源について学んだり、他の生物の生殖について学んだり、魚の小腸の長さを学んだり、と。

まあその結果毎回感じるのは、
人間含めすべての生物は物質の塊なんだなあと。笑
生物そのものについて、そこに意味はないと感じてます。

生物がいることも生物が増えることも生まれることも死ぬことも意味はない、つまり生物に与えられた使命は何1つないと断言をしておきます。
注意なのがここでは人間ではなく生物だということです。

何しても善悪はないんです。あるとしたらそれはある生物からの主観、多くは人間の主観です。
人間主観の例えを出すと、生涯殺人を58回繰り返し、窃盗、麻薬諸々やり捕まった人間Aがいるとします。多くの人が悲しみ、怒り、この人間Aを殺してくれというでしょう。そしてこの人間Aは天国と地獄どちらにいくと思いますか?と聞かれた民衆は地獄に行く、神は許さないと答える人がたくさんいると思います。これが人間側の主観的な例の話です。

どこが主観って、そもそも天国と地獄も、神様も人間のためにできたものでしたね。これが全生物の視点の神様がいたらどうなるのでしょう。
生命を奪うことが悪いとするならば『環境や大量に生物を殺してきた大罪人の人間を少しでも殺した人間』と人間Aは評価が貰えるはずです。人を殺すのは全生物視点からすれば素晴らしいことになるかもしれません。

全宇宙の神がいたらどうでしょう。自分が神様だったら1つの星の1つの生命体が58の生命体を奪ったと言われても「そうですか…で?」って感じになりますね。

具体例長すぎた。笑
つまりってことなんですけど、そもそも何をしてもいいわけです。本当に。
子供を作らないといけないだとか、結婚しないといけないだとか、就職しないといけないだとか、いい行いをしなければならないだとか。そんなもんどうでもいいんです。善悪なんてそもそもないんです。

根底にこの何も善悪がない状態があります。これがすべてのベースラインです。
ではこの縛られるものも何もない。とするのであれば、何をしたいか。

自分が生きることにも生まれてきたことにも死ぬことにも意味はないんです。
だったら自分が自分の人生に意味を持たせよう、と考えました。
その結果、自分が幸せになること、人生を自己満で生きて行くという決断ができました。(決めたというよりも必然的にこうなった)終着点という感じです。せっかく生まれたんだから意味を持たせようと。自分の視点で。

これがベースラインです。じゃあ幸せになるために殺人はしてもいいのか?とかいう疑問を持たれるのかなあと思うんですが、そこはさらに別の軸でそれは違うと否定するのですが、今日はここまでにします。

要約すると、
生きることに本当に意味はなくしがらみも何もない
だからこそ、自分が幸せになるという終着点ですね。

いやあ2回目かいてみたけど止まらないし、自分の文章力の無さに驚きでした。頑張ります。メモの魔力よもっと。