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憧れは春一番

好きな人がいた。文章を書く人だった。


日記とも詩ともとれる、結論や主張が明確にあるわけではない散文は、しかしつむじ風のように私の胸をかき乱した。会ったこともなく、本名も素性も知らない彼女の言葉に、ひと目で引き込まれた。SNSの更新通知を目にすることが、毎日の楽しみになった。



彼女の言葉から何かを得たかというと、それは気づきでも学びでも知見でも知識でもない。意味でも心得でも希望でも納得でもない。ただ、脳がしびれて心が震えて舌がもつれるような、そんな衝撃だった。誰にも、何にも代えがたい価値であり、魅力だった。

こんなに美しく力強い言葉を紡ぐ人がいるのだ、とぞっとするほどの感動を覚えた。彼女の感性は、突風のように私の目の前に舞い現れ、視界のすべてをざっぱと掴んで持ち去ってしまった。直視できないほど眩しくて、羨ましかった。


鮮やかに切り裂かれた風景が、彼女の周りでひらひらと踊っている様を想像する。淡くちらつく花びらに埋もれながら、鋭く透明な瞳で遠くを見つめる横顔を脳内で描き、なんて美しいんだろうとため息をつく。好きだった。彼女の見る世界を、私も見ていたかった。

しかしある日から、彼女の存在はどこにも見当たらなくなった。ブログもSNSも跡形もなく消えている。そうだ、ここはインターネット。こうやってあっさりいなくなる人がいるんだと、忘れていた現実を突きつけられて唖然とした。去り際さえも風みたいな人だった。


それからずっと、彼女は私の中で憧れ。彼女みたいに言葉を操りたい。彼女のように言葉を紡ぎたい。彼女のように、世界を、心を、感覚を手に取りたい

思えば、そんなものだった。他人が紡ぐ言葉を見たいと思うことも、自分も何かを生み出してみたいと欲することも。美しいものを描きたい。あの人みたいになりたい。あのときの感動にもう一度出会いたい。そんな単純で些細な欲求に、突き動かされている。



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