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街の変貌を見る

渋谷の埼京線のホームで電車を待っている時、ふといつも通に外の景色に目をやっていたら何やら今までと違った風景に気が付いた。
目の前の建物全ての入口が閉鎖されていて、中身が既に空っぽの状態。
普段その電車に滅多に乗らないのでいつからその状態なのかは知らなかったが、まさかここまで開発の波が押し寄せているとは思いもしなかった。
反対側ばかりに気をとられていたので、こちら側の変化には全く気が付かなかった。

その先にある専門学校に通っていたので、そこは通学路として毎日通っていた道。
ただ通りすぎるだけの道だったので、特にその道すがらのお店に入る事は無かったけれど、見慣れていた風景がごっそり無くなってしまうというのは寂しいもんです。

卒業してからも渋谷に来た時にはぶらぶらと、渋谷から代官山へ行く道として何度も歩いているので、今でもかなり馴染みはある。
そんな歩き慣れた道も工事が進むと共に閉鎖されてしまうらしい。
この辺りまでも高層ビルが建ってしまうのかと思うと、渋谷の再開発は半端なく恐ろしいものなんだな、と考えさせられてしまう。

もう今は開発するとなると高層ビルが建つのが当たり前になってきている。
武蔵小杉周辺もその代名詞のようになっているし、今は武蔵小山の駅前も大規模工事が行われていて、駅前のごっちゃりした飲み屋街が跡形もなく無くなっていて驚いてしまった。
月島のもんじゃストリートの一角もそんな景色になっているのを最近テレビで知って、これまた驚いた。

一体どうしちゃったんでしょうか日本の建築は。
そこまで高層必要なのかしら?
昔からそこに存在していた古きよきものたちを一切合切排除して、デデン!と同じ様な顔のビルが建ち並ぶ風景。
なんだか味気なくて寂しい風景だなあ。

ここまで再開発の波が押し寄せるもっと前、代官山にとても古びた、だけどとても味わいのある建物が存在していた。
同潤会アパート。この名前を見るだけでもうあの風景が甦ってくる。
今の若い人達はあそこにそんな古い建物があったなんて、知らないだろうなぁ。

それはそれは素敵な場所で、私の大好きな場所だった。
休みともなるとカメラをぶら下げて何度も写真を撮りに行っていたっけ。
アパートの敷地内にも関わらず、あの頃はずかずかと入っていったもんです。そんな人達も沢山いたし。
広い敷地内には、床屋、銭湯、食堂なども入っていて、今思うと凄く不思議な空間だったんだな、と思う。
でもそれが自然にそこに存在していて、そこの一角だけのどかな風景が広がっていたのが凄く心地よくて安心する場所だった。

建物自体は古いけれど、その一つ一つの造りは今には無いお洒落さと新しさが混在していた。
今それを造ろうと思っても、寄せることは出来てもあの味わいまでは造ることが出来ない。
年月の重みが加わって出せるものなのだから、もうそれは無理なこと。
だからそれが解体されて全て無くなってしまうと聞いたときは、ホントに悲しかった。
老朽化というものを初めて思い知らされた出来事でした。

そしてその跡地に建ったのが代官山アドレス。
身近に高層ビルを見た最初の建物だったように思う。
それが今では当たり前の光景になってしまったのだから、恐ろしいもんです。
以前テレビで、再開発をすると綺麗な駅ビルばかりが建って、それぞれの個性が無くなって面白くなくなってきたね、という話をしていたのを思い出した。正にそう思う。
でも時代と共にその変化も受け入れていかなきゃいけないのかなぁ。そうは思いたくないのだけどね。