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やんわりと任されている

おはようございます。
毎日編み物をしながら暮らしたいアランアミです。

今日は小学生の頃の昔話を少し。

私が通っていた小学校は全校生徒が200名いないくらいの小規模なところだった。
学校生活の様々な場面で「縦割り班」で行動する。
15分休みでは班ごとにマラソンで走った周数を集計したり、一緒にダンスをしたり。
昼休みには校内清掃を班ごとに行う。先生もいるけれど、基本的に班長が場を仕切りそれぞれの役割を決めて掃除をする。4年生になるまで箒は使わせてもらえない。
掃除の後は反省会を開き、先生にサインをもらって解散。
通年で班ごとにさつまいもの栽培を行い、収穫したら収穫祭でみんなで食べる。
秋のオリエンテーリングでは班ごとに校区内を歩き回る。5年生が育てた梨を1人2つもいで、お弁当を食べて学校まで戻る。歩けなくなった1年生を6年生がおんぶするのは風物詩みたいなものだった。
とにかく私が通っていた小学校にとって縦割り班はクラスと同じくらい生活を左右するものだったと思う。

そもそも人数が少ないのでクラス替えが発生しない。したところで私の学年は42人しかいなかったので全員と交流がある。なんなら半数以上は保育園から一緒の仲である。

縦割り班は先生たちが決める。
班長も指名される。

4月に発表されるから、これがクラス替えみたいなものだったかも。

6年生になって私は班長になった。
副班長は穏やかな性質の男の子だった。
ちょっと話がそれちゃうんだけれど、大学生になって参加したボランティアで学生リーダーをした時にペアで組んだ人も穏やかタイプの男性だった。
6年生の時のペアの男の子と雰囲気が似ている。
運営側からは「お互いの性質が反対の人同士でペアになるようにしました。」と告げられる。
小学校の先生もそういう意図で班を決めていたんだろうな。

1年生から6年生まで各学年でだいたい1〜2人ずつ割り振られ全体で10人くらいの班編成だった。

私が班長をした班には、今だとたぶん発達障害のサポートを受ける対象の子がいた。
自分の関心のないことには反応しない子で癇癪も多かった。集団行動するのが少し難しいタイプ。
詳細は覚えていないけれど、頻繁に彼の担任の先生と話をしながら班活動に参加してもらえるように配慮していたような気がする。
もうずいぶん昔の話だから「なんか大変だったな」というぼんやりとした記憶になってしまうんだけど。

娘が学年末の振り返りシートで「友達と仲良くできたか」という項目を「よくできた」ではなく「できた」にしていたので理由を聞いてみると、クラスの子にちょっとキツイ口調で注意しちゃう時があったから…と言っていた。

その「クラスの子」はサポートが必要な子だと個人面談の時に担任の先生から聞いている。授業の準備をするときに娘がよく手伝っているという話も。
そういえば教室の席が近くのことが多いようだ。
席は先生が決めている。

娘は私なんかよりもずっと責任感が強い。
それがよく出たり悪く出たり場面によって様々だと思う。

学校の話を今はたくさんしてくれるけれど、そのうちしてくれなくなるのかな。
自分は親にどれくらい話していたかな。

ではでは、良い1日を〜

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