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ヤマトタケルとミヤズヒメ伝承の地~熱田の断夫山古墳発掘調査現地説明会の記

 名古屋市熱田区にある断夫山(だんぷさん)古墳は、東海地方最大の前方後円墳です。3月5日(日)、発掘調査現地報告会に行ってきました。
 古墳は日本武尊(やまとたけるのみこと)が尾張の地で結婚を約束した宮簀媛(みやずひめ)の墓との伝承があります。熱田神宮の管理でしたが、1980年から愛知県が管理する「神宮西公園」に取り込まれて保存されています。古墳は1987年に国の史跡に指定されています。 

❹断夫山古墳 神宮西公園のイラスト地図から

 古墳は全長151㍍。前方部の幅は116㍍、高さ16.3㍍。後円部の直径は80㍍、高さ13㍍。樹木におおわれていますが、以前、一般公開の日に登ったときには急峻で、いい運動になりました。今でこそ南側はビルが建て込んでいますが、かつては熱田の浜が見渡せたようです。 
 発掘調査は2019年度、20年度は墳丘東側で実施。21年度の調査では北側に古墳を囲む周濠(しゅうごう)の存在を確認しています。

今回、断夫山古墳から発掘された須恵器の破片

 今年度は現在までに前方部南西側の周濠を確認しています。須恵器、円筒埴輪や形象埴輪も見つかっています。また、古墳の周辺からは明治時代以降に焼かれた耐火レンガも出ており、発掘を担当した県文化財室や名古屋市教育委員会では「古墳の周辺が、幕末から明治、戦後も身近な『山』や公園として利用されていたこともわかった」と説明しています。
 実際、名勝や史跡を紹介した尾張名所図会も絵入りで解説しています。

断夫山古墳の前の説明板には、熱田の浜を望む様子が紹介されている(尾張名所図会で)

 「かつて断夫山は、常日頃の立ち入りが禁止されていましたが、三月三日だけは入ることを許されました。熱田の浜を眼下に見渡せるのはこの時だけでした」
 断夫山古墳は尾張の豪族、尾張氏の墓という説が有力です。古墳前に立てられている名古屋市教委の説明書きでは「六世紀初め、尾張南部に勢力をもった尾張氏の首長の墓と考えられている」とあります。

公園管理事務所前には断夫山古墳の27分の1のスケールのミニチュアも人気

 一方で古代ロマンを感じる伝承も。古事記や日本書紀では、ヤマトタケルが東征の折り、尾張の地で豪族の娘ミヤズヒメと結婚の約束をかわしたが、東征の帰途、病気がもとで死んで、白鳥となり飛び去った」(熱田神宮公園管理事務所HP参照)。近くには白鳥古墳(全長70㍍)、またの名を白鳥御陵があります。
 現地説明会には100人ほどの市民が集まりました。「若い頃は登って遊んでいた」という年配の人もいました。地元の史跡を知るうえで、発掘の情報を公開していくことは良いことだと感じています。

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(2023年3月5日)    
 
 

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