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【台東区】鬼滅の刃にも登場。浅草凌雲閣を想像したら石川啄木ファンになったお話

今回は浅草東洋館前から東京時層地図で過去にタイムスリップしてみたい。

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僕は20年以上前に道路工事の警備員のアルバイトでちょうどこの辺りに来たことがある。

真夜中、女装した老人に「早くこい!」と言われて後をついていく男性。

上京して3年そこらだった私は非常にカルチャーショックを受けたのだった。

浅草に来るとその時の出来事が蘇ってくるのだ。

その現場で同じ警備員のバイトの人に

「サイドビジネスに興味ない?」

と誘われた。

当時はサイドビジネスの意味もわからなかったがおそらくはネズミ講のことだろうか。警備員のバイトは3ヶ月で辞めた。

90年代後半は隆盛期だったのだろうか?通っていたトレーニングジムに来ていた医師にもネズミ講に誘われたな。断ったら逆ギレしていた。

人間は環境と状況の産物であるという。

自分がどこへ行けば良いのかもわからなかった。もちろん今もわかりません。

さて

すきあらば自分語りはこのくらいにしておいて地図にいきましょう。

文明開化時 1876-84(明治9〜17年)

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池なんですね。浅草寺の池と言って良いでしょう。瓢箪池というようです。

浅草公園を六分割してその中の六区が繁華街として栄えることになります。

江戸時代を調べてみた所、浅草寺の火除け地として大きくこの土地を使っていました。

武家屋敷はあまり見当たらず、寺院と町人の街というイメージです。

江戸時代は火事が頻発していたから、火除け地を作っていましたが、それが明治になって都市開発で火除け地も宅地化していったのです。

のちに関東大震災で壊滅的打撃を被ったのが浅草ということを考えると、皮肉にも都市開発が裏目に出てしまった一因もあるのかもしれません。

とはいえ明治初期でもこの建物の密集具合。すでに大繁華街になる下地はできているように思えます。


明治末期 1906-09(明治39〜42年)

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北側に凌雲閣が見えます。

「明治33年の日本之名勝」の写真によると目の前に池があるのでまさにこのあたりから撮っているのかなとおもいます。

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凌雲閣は1890年(明治23年)竣工 

設計はウィリアム バルトン
エレベーター付きの12階建て高さ52m 

12階であることから浅草十二階とも呼ばれおり当時、日本の高層ビルの魁といえる存在でした。

高さ的には今の新宿歌舞伎町の東邦ビルのゴジラの高さ。

明治44年.8月発行 東京印象記 児玉花外 著より引用すると

「この十二階の頂上の窓からこの地に至って身投げをして死んだものが男女合わせて3人もある 凌雲閣の名もここに及んで悲劇的の塔と変わった 東京の浅草、地獄のような汚濁の土地に死んで屍を晒すとは何たる人間悲惨極まる運命であろう ここには遊び人、喧嘩、博打、スリに淫売、酒と紅白粉、見世物とあらゆる天下の快楽品と罪悪が満ち満ちている一区域である ここで死に恥をさらしては成仏も難しかろう この頃不許可になったと噂もあるが御神燈の下に日夜居並ぶ幾百の白首(売春婦)の地獄、近来活動写真が大流行して極楽のラッパを盛んに吹き立てている 悲劇と言えばこの十二階からの身投げほど悲劇がかつてあろうか これは近世的自殺の最も工夫されている方法である。 一層活動写真にとっても甚だ奇抜斬新なる材料である。背景からして西洋にもまたとない面白い活動写真である。 元来、人の心は妙なものでいかに無学無識の人間といっても世の変転急激なる風習に頭を侵されわけにはいかぬ。 生死の瀬戸際に臨んでも世の中の何者かに囚われて、いわゆる死に花を咲かせることまで考える 文明国の人間はとても獣が深山の奥に隠れて倒れ死ぬよう、蝶や虫が草葉の陰に滅び消えるよう、そんな無意味な単純な死に方をすることなど為し得ない この十二階からの投身者の如きは最も近世風自殺人の好箇の代表者なのだ 予はここにおいて一人、社会無学市井の人々に向かって告げる! 浅草十二階の窓から身を投げる的の、突飛な、芝居気な、大胆な勇気があるならばその何が故に広い世界に向かって国を飛び出さないのであるか、海の外ロンドン、パリにアメリカに至るところ天に届く高い塔は多い。 男たるもの1番ここいらで芝居気を出して世界を驚かせたらおもしろかろう、自殺など弱者のとるべき最も意気地のない方法である」

と、かなり辛辣な様子。さすが詩人、語彙が豊富です。

児玉花外(1874年(明治7年)- 1943年(昭和18年))は発禁本も多い詩人だったようで、その激しい性格の片鱗が見えますね。

児玉はNHKの大河ドラマ いだてん で存在感があった 天狗倶楽部 の一員でもあります。

そういえば いだてん でも浅草は遊び人、博打、売春、喧嘩っていう描写でしたね。劇中の古今亭志ん生も浅草で酒と博打に溺れていました。

浅草はこの頃、今でいう新宿歌舞伎町のような繁華街として隆盛を極めていた様子がこの児玉詩人の手記からもわかります。

詩人といえば 石川啄木 1886年(明治19年)- 1912年(明治45年)

後世にも名前が残っている詩人です。 
詩人といえば石川啄木。早逝で清貧の天才詩人。

児玉花外より8歳ほど若い啄木ですが、ちょくちょく浅草の活動写真と売春宿には通っていたようで、自身の「ローマ字日記」にはその記載がありました。

浅草の売春宿に13,4回通ったとか、親友の金田一君(金田一京助)と浅草だったらどんな女でもいいけど、吉原なら美人じゃないとイケませんと話し合ったとか。

イライラしたから売春婦の陰部に指を5本入れたとか。

奥さんにバレないようにローマ字で書いて死後焼却するようにとの遺言だったのですが、実は奥さんはローマ字が読めて、金田一君に渡したので世に広まったといいます。


石川啄木といえば明治の薄命歌人、清貧というイメージですが、それはあくまでも昭和戦前に作られたもので

実際は給料入ったら女遊びでお金使って

「働けど働けど暮らし楽にならず じっと手をみる」 

と言っていたわけなんですね。でもそちらの方が詩人っぽいかなと思います。やっぱり文学者は破天荒でないと。普通感覚の人ではイノベーションは起こせないといわれていますし。

そういった背景があれば啄木の詩もまた深みをもって受け取ることができるのではないでしょうか。実際、この話を知ってから石川啄木に興味を持ちました。

ローマ字日記は購入したいですが、アマゾンも楽天もブックオフも品切れ状態でした。欲しいですね。


関東大震災前 1917-28(大正6〜昭和3年)


大人気アニメの鬼滅の刃は大正時代に時代背景を設定しているといわれています。浅草の街並みや凌雲閣もアニメ上で登場していましたね。

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1923年(大正12年)9月1日 関東大震災が起こります 東京の死者・行方不明者は約10万5000人という未曾有の大惨事。
これによって凌雲閣も崩壊、解体されます。

浅草寺は地元の消防体制が整っていたの、ともともとあった区画整理で空き地があった事、風向きなどの偶然の重なりによって焼け残りました

両国の被服廠跡では3万5千人が亡くなっているので、少なく感じますがそれでも浅草区自体で2000人以上がなくなっています。

これによって繁華街だった銀座、浅草は壊滅的な打撃を受け、集中していた人口は郊外へ流動することになります。

これ震災前の地図と昭和戦前期の地図を見比べると郊外に人が集まったのは一目瞭然。

新宿も震災まではとなりの四谷のほうが栄えていました。(いままでの地図調べ)


昭和戦前期 1928-1936(昭和3〜11年)

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戦前は政府機関には改描などがあるのですが、一見して見当たらないです。東本願寺に浅草図書館というのがありますね。

関東大震災の後は戦争 東京大空襲での浅草区の死者は約1万人 関東大震災を耐え抜いた浅草寺の本堂も空襲で焼け落ちます。

高度成長期前夜 1955-1960(昭和30~35年)

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戦後、いわゆるひょうたん池は埋め立てられました
ちょっと正直惜しい感じがします。
何を変えて何を残すかは難しいところだけど、人間は自然と切り離せないですから、自然を感じるところは残しておいた方が後世良いと思うのですがどうでしょうか。

国際劇場の名前もみえます
国際劇場は松竹歌劇団の本拠地で、1937年に幸龍寺の跡に建築、1982年に閉鎖。
松竹歌劇団はSKDとよばれ、1928〜1996年まで存在し、宝塚歌劇団と人気を競ったとか。

僕でも知っている出身者は
美空ひばり、淡路恵子、草笛光子、加藤みどり、倍賞千恵子、倍賞美津子。

なるほど、男はつらいよ は松竹映画だし、さくらは松竹歌劇団出身ということですね

それにしてもSKDと呼ばれていたとは。AKBなどはこういうのもおそらく参考にしているんですね

バブル期 1984-1990(昭和59年〜平成2年)

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最初になにげなく写真をとった浅草フランス座東洋館前ですが
ここは日本芸能史上見逃すことができないすごいところで
戦前はストリップ劇場でしたが1960年代に建て増ししてそこを演芸場としストリップとコントの二本立てで営業。
ここから劇作家の井上ひさしやビートたけしがうまれます。
この地図の時代のちょっと前くらいに活躍していたんだなと思います。


スカイツリーのついでにいった浅草ですが、考えていたよりも繁華街としての歴史は古いものでした。また改めて訪問してじっくりと回りたいとおもいます。


浅草寺にまだいったことがないんですよね。
ちなみに雷門前にある「龍昇亭にしむら」さんの期間限定のくりむし羊羹は絶品です。じつはあちらはご存じないと思いますが僕とは親類なので応援しています。

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