見出し画像

ハウツー本、自己啓発本お持ち帰り不要論~偏屈サブカルバンドマンの後悔日誌④~

おはようございます。ふと思い出した「おなかがすいたら、やっきおにぎり♪」のメロディが頭から一日中離れません。あらいです。

今日はハウツー本についてのお話です。

突然ですけど、自己啓発本とかハウツー本のコーナーってその場にいるだけでなんだか最強になった気分になりますよね。
「たった1ヶ月で〇〇になれる魔法の習慣」
「成功したければ〇〇しなさい」
「仕事を速攻で終わらせる〇〇術」

タイトルをざっと見ていくだけで


とか思ってしまいます。

僕の場合はなんとなく惹かれつつも、

若干のうさんくささがあって、ちょっと持ち帰るのは抵抗があったり、そもそもめちゃめちゃ読み返す感じじゃなかったり、読む時間ないかもな~と思ったり、いろんな理由をつけて買うまであまり至らないのです。


でも気になったモノがあるまま本屋さんを出るのって、なんか釈然としないですよね。

そこで今日は大抵のハウツー本、自己啓発本についてちょっと調べて読んでみたら、

これ、そもそも持ち帰る必要ないモノ多くね!?

となったので、今日は

についてお話しします。

[悲報]内容のわかりやすさを高めまくってみた結果...

結論から言うと、

昨今のハウツー本はわかりやすさと手に取りやすさがマックスまで高まった結果、持ち帰る必要がなくなってます。

その理由として主に3つがあげられます。


① 目次と見出しの要旨化
そういった本の目次を見るとわかるんですけど、正直本文の要約になっちゃってます。目次見れば内容入ってきます。あとはその本全体のキーワードとかわからないところだけその章を読めばわかっちゃうものが多いです。

② キーワードのやり過ぎなまでの高pt化、カラフル化
全編を通して、キーワードに使い込まれた参考書がごとく線が引かれていたり、マーカーっぽく塗りつぶされているものが多いので、その部分だけざーーっと本文を追っていくだけでなんとなくわかってしまう。目次で

〇〇は本当に必要か?

〇〇は△△で代替できるか?

のように問いの形になっていたものも、まとめページでは答えになっていることが多いです。

ほんとに作業ゲーがごとくキーワードを目で追ってるうちにわかっちゃうものが多いです。なんか「ちゃんと文章書く意味は...?」って思ってしまいますけど、でもこれって「プロの編集ってすごい。」ことでもありますよね。

③「まとめ」ページの出現
大体、章末にまとめがあります。これもあるあるなんですけど、メモ帳みたいなレイアウトになっててチェックボックスがあることが多いです。これも高校時代に読んだ参考書を思い出します。

10分あれば基本的に一冊攻略できんじゃね?


以上を踏まえて僕がやってる最速攻略チャートは(ドラクエの攻略本か)

これで多分、10分かからないと思うんですけど、その本の要旨と得たかった方法論は入ってきます。

僕はこれを、気になったタイトルのもの何冊かで本屋さん併設の喫茶店でやったり、暇つぶしで立ち寄った本屋の立ち読みでやってます。


多くの速読術とか、意識高い系の人たちが紹介してる方法とかぶるところも多いと思うんですが、今回あくまで伝えたいのは方法論じゃなくて


「ガチでハウツー本購入して持ち帰るの不要じゃね」


ってことです。

わかりやすさと手に取りやすさが限界まで高まった結果、「持ち帰って本文をよく読む必要がなくなる」って、なんかグリム童話のオチみたいですよね

そして、まとめに入りたいんですが、「僕もやってる」といっておいて何ですが、この状況は「かなり悲しいこと」と捉えている自分もいます。

便利だけど、風情がない!!

僕は読書するとき、宝探しみたいな気持ちで読むことが多いです。知りたかった情報、はもちろんお宝。でも、本を読む楽しみはそれによって思いもよらない興味を引かれる情報に出会うことや、作者さんのルーツを知って新たな読書欲をかき立てられることは、さらにレアアイテムなのです。

これから言うことは、時代に逆行するような発言になってしまうかもしれません。すぐに手に入る分かりやすい情報をみんなが求めているのもわかリますが、本文を読まなくても要旨がつかめちゃう読書は、時間の得をしても、読書を純に楽しんでいたアライ少年が見たら悲しむかなと思います。

「わかりやすさ」が高まりすぎて、読書の風情と楽しさの一つが、忘れられないことを祈るばかりです。方法論を追いかけて自分をアップデートするだけじゃ、たくさん知識がついてもつまらない大人になりそうです。時に風情を大切にできる若者になりたいモノだなぁと思います。ではまた。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?