幸せの余剰の贈与


このnoteは下書きに眠っていたものです。
ここ数日毎日投稿できていたので、せっかくだし何かないかなあと探していたら見つけました。書いたのは去年の七月のようです。
半年以上ぶりに自分が書いた文章を読んでみると、確かに今の自分につながっているように思えます。
半年前に比べると幸福度は少し下がっているかもしれませんが、目的を持って、他人にとってプラスになる為にがむしゃらに生きている気がします。
なので、これを改めて投稿して形に残しておくことで、将来の振り返りにも繋がるのではないかなと思います。
ということで、以下半年前の文章です。

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今日は珍しく読書感想文ではありません。
「僕のヒーローアカデミア」のアニメ6期を見終えて、考えたことをまとめようと思って書いています。

思考の起点は「自分にできることは何か」でした。
16歳の少年がどんどん成長していく間に、現実世界で数年生きて二十代半ばになった自分が、なんだか置いていかれているように感じました。

現状(=幸せ)

今の自分について考えてみると、そもそも私は主人公ではありません。
最近は「誰もが主人公」みたいな言説が流行っている気がしますが、私は脇役の方が向いているタイプだと自認しています。
もし主人公になるとすれば、スピンオフですかね。スピンオフで主人公になれるような脇役になれたらいいなとは思います。

何はともあれ、私はヒロアカの主人公のように、世界の運命を背負っているわけではありません。言うなれば、かなり気楽に生きているのです。私がこれから何も成し遂げられずに生きていこうとも、誰も非難しないことでしょう。
他の誰かにもできる仕事だけれど、その誰かとして自分が仕事をしている。そういう人って他にも結構いるんじゃないでしょうか。だからこそ、仕事以外の時間は自由に気楽に過ごすことができます。(職業によっては、休日も緊急で出勤する人もいるかもしれません)

何も背負わずに気楽に生きている私は、今とても幸せなんだろうなぁと思いました。
数年前までは、何か満たされない思いが満ちていて、自信を持って「自分は幸せだ」と言うことができませんでした。
勿論、自分より辛い思いをしている人なんていくらでもいることや、自分が十分恵まれた環境に生きていることは理解していました。けれども、無意識に引いた幸せのボーダーラインを超えられていませんでした。
どうすれば自分は幸せになれるのかわからず、推測しながらがむしゃらに生きていた気がします。

けれども今は、自分は幸せだなぁと思うことができます。理由は色々とありますが、これから先のことを特に深く考えず、普通に仕事をして生きていく未来を見ることができます。
ゆえに、昔のようにがむしゃらに生きる必要もなく、休日の大半をアニメを観ることに使うこともできるわけです。

余剰

今の私は十分幸せである、というのが、第一段階の結論でした。
昔のように深く悩むことも減りました。

けれども、満足しているのかというと、そうでもありません。
何かをしなければ、という漠然とした思いが、休日の天井からベッドの上にいる自分を見張っているような気がします。
しかし、世界の運命を背負っていない私は、You TubeやTwitterで休日を溶かしてゆくのです。

これが何なのか考えてみると、つまり時間が余っているのではないか、と思いました。
私は好奇心旺盛なので、やりたいことは沢山あって、そういう意味では時間が全く足りません。
しかし、やるべきことを除いても時間が余るから、沢山やりたいことがあるのです。

少し前の自分は、自分が幸せになるために何が足りないのかわからず、足りないものを探してがむしゃらに色んなものにチャレンジしていた気がします。
一方で今の自分は、幸せになった自分が何をやるべきなのかわからず、やるべきことを探して色んなものにチャレンジしています。しかし、必要に迫られていないので、昔のようにがむしゃらにではなく気楽に、今まで広げてきた興味を気まぐれに深めていっている、そんな感じがします。

シンプルにいえば、やりたいことは沢山あるけれど、やるべきことをやる時間は余っている、ということです。やるべきことをやる時間が余っているから、やりたいことが沢山ある、とも言えます。

贈与

時間が余っているのなら、誰かにあげればいいじゃない、と思いました。
勿論、時間は他人に渡せません。
けれども、自分の時間を他人の為に使うことはできます。
まあそもそも誰かの為に働くからお金が貰えるというのが仕事というものの仕組みなわけですが、だったら究極的にはずっと仕事をしてても良いわけですよね。仕事の為にリフレッシュが大切というのも一理ありますが。あれ、仕事第一の人ってもしかしてこういう気持ちなんでしょうか。唐突にシンパシーを感じました。

さて、今の仕事はそれなりに他人の幸せに貢献しているつもりでいます。
けれども、自分の本当にやりたいこととは少しズレがあるようにも感じています。
自分の本当にやりたいことをやるために利用するにはかなり良い環境ですが、それが本来の業務かと言われると微妙なラインです。
もう少し具体的に言えば、人にものを教える時、教えるべきことと教えたいことが違うのです。しかも、教えたいことが何なのか、自分にもよくわかっていないのです。この「自分が他人に伝えたいことは何か」という点はまた機会を改めて考えたいと思います。
ただ、時間が余っているなら、この微妙なズレを解消するために、時間を使うのが良いのではないかと思いました。

自分が今やりたいことは、少なくとも他人にとってプラスになるということです。何がプラスかを判断するためには色んな事を勉強しなければいけないので、やはり勉強は目的がわからずに続けて良かったです。

長くなってきているので、突然ですが結論にいきましょう。

私は今、十分に幸せである。
だから、誰かの幸せの為に時間を使おう。

おわりに

今日考えたことは、マズローの欲求段階説でいうと自己実現欲求にあたりますね。
私は今貯金も全然ありませんし、職も不安定です。他の誰かからすれば、私は全然十分に幸せでないかもしれません。
けれども私はとりあえず安心して楽しく生きられる程度に幸せです。
これ以上の幸福を求めるのは、かえって自己嫌悪を招きます。

私は岡潔(の祖父)の「他人を先に、自分を後に」という言葉が好きです。
既に自分は幸せになってしまったので、尚更他人の幸せに貢献したいと思います。
仮に、他人の幸せの為に自分の幸福度が下がることがあった時は、「他人を先に、自分を後に」と思って、他人を優先したいです。そういう者に私はなりたい。

最後の最後にもう一つ。
これはきれい事かもしれません。
こんな理想を書いていながら、現実の自分はどれほど醜いことでしょう。
けれども、私はきれい事を理想にして、理想の実現を目指して、一歩でも理想に近づきたいと思います。

こんなきれいな考え方を思い出させてくれた少年漫画(アニメ)「僕のヒーローアカデミア」に感謝を込めて。

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