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【キルギスタン】キルギス・ロシア・スラブ大学附属博物館

場所:ビシュケク市内
時代:古代~中世

この大学(KRSU)は1993年にキルギスとロシアの政府によって設立され、現在7,000人以上の学生が学んでいる。大学の名付け親は、ロシア連邦初代大統領ボリス・エリツィン。正門から入ると正面には大学講堂につながる階段があるが、上階には行かず地上階の事務室のほうへ入る。受付カウンターには年配の女性事務員さんが座っているが、英語が通じない。そこでスマホの翻訳アプリで、大学付属の博物館へ行きたい旨を伝えるが、どうも要領を得ない。ちょうどそこに偶然、大学事務局の方が数人で立ち話をされており、事務員さんが私のことを伝えたところ、英語の達者な事務局長さんによって学部長さんの部屋へ案内していただくことができた。
しかしこのときは、博物館の中を案内できる先生は英語ができないため、キルギス観光局に連絡を取っていただき、局員で英語のできる方に通訳をお願いしてもらうことになり、翌日来てもらえないかという話になって再度出直すことになった。

砕葉城出土の仏教遺物
イシク・クル湖から引き上げられた青銅器 (鍑)
土器と骨壺

翌日再度出向いて博物館を案内していただいたが、この大学の附属博物館は一般向けに公開されているものではなく、どうやら学内の資料室のようなもので、階段を上がって学生が勉強しているいくつもの教室につながる廊下を行ったところにあった。室内の真ん中には展示用のガラスケースが置かれ、小さな装飾品や貨幣などが収められ、周囲には土器や青銅器、石碑など大きい出土品が並べられていた。また壁には、1950~60年代に行われたイシク・クル湖の水中遺跡調査や、発掘の様子を撮った様々な写真が掲げられていた。

仏教遺物
イシク・クル湖の発掘場所の地図

かなり年配のロシア人の先生に説明していただいたが、その先生の父親も考古学者でイシク・クル湖の水中発掘などに携わり、壁の古い白黒写真にも写されていた。展示されている発掘品の中にも、イシク・クル湖から引き上げられた青銅製の鍑など、とても興味深いものが並んでいた。この地域には漢代から5世紀ごろにかけて烏孫という遊牧国家があり、その都城である赤谷城がイシク・クル湖に沈んでいると言われている。

砕葉城 (碎葉鎭) 名が刻まれた石碑
左:「碎葉鎭」の文字、右:本に載っている石碑

今回、この博物館でどうしても見たかったものが、アク・ベシム遺跡から出土した「碎葉鎭(スイアブ城)」の記載がある石碑の断片だった。遺跡は、唐代に玄奘三蔵が立ち寄り、突厥可汗から歓待を受けたというスイアブ城であろうと推測されてきたが、なかなか証拠になるものが出なかった。そしてついにその町の名が刻まれた碑が出土し、ここがスイアブ城であると確定した、というそんな謂れがある碑だった。なるほど碑文に刻まれた「碎葉鎭」の文字(碎の字は半分欠損している)が、確かに読み取れた。

大学にある石人

ちなみに大学正門の広場の片隅には、石人(バルバル)が数体、ひっそりと置かれていた。

キルギス・ロシア・スラブ大学附属博物館の位置

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