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【ドイツ】メロヴィング朝の壁

場所:トリーア、ドイツ西部
時代:西暦640年ごろ

トリーアの街は、その前身が「アウグスタ・トレヴェロルム」と呼ばれたローマ帝国の都市で、紀元前18年ごろに架けられたローマ橋とともに街の建設が始まりました。ローマ後期になっても北方属州の中では特に重要で最大の都市であり、現在でもポルタ・ニグラをはじめ、多くのローマ遺跡が残されています。トリーアは西ローマ帝国の滅亡後、5世紀の終わりごろにはガリア北方を拠点とするフランク王国の統治下に入り、多くの修道院が設立されました。その中でも重要だったのが、街の南の方にある聖マティアス修道院で、ここにはイエス・キリストの12使徒のひとり(イエスを裏切ったイスカリオテのユダの後任として、くじ引きで選ばれた)、聖マティアスの墓があるそうです。聖マティアスの墓についてはいろいろな説があり、どこが本物なのかは不明です。
トリーア2回目の訪問となった今回(2024年1月)、この修道院には行けませんでしたが、10世紀の初代と2代目トリーア司教の石棺があり、また1127年に見つかった聖マティアスの遺骨が祀られているとのことですので、次回訪れてみたいと思っています。

メロヴィング朝の壁 (Merovingian Wall)
壁の端 (老人ホーム入り口)

さてここからが本題なのですが、その他の修道院のひとつに、街中に聖イルミネン修道院があります。11世紀のロマネスク様式の塔を備えたロココ様式の18世紀の教会(聖イルミネン教会)がありますが、現在の修道院は老人ホームを経営しています。そしてここには、ドイツ最古と言われるワインセラーもあります。起源は西暦330年のコンスタンティヌス帝時代の倉庫に遡るもので、当時は地上に建設されたものでしたが、長い年月の間に土や瓦礫が堆積したため、現在は地下のワインセラーになっていて、今でも残っている最も古い部分はメロヴィング朝時代に建てられた柱廊玄関だそうです。トリーアの街はローマ崩壊後、古くはフン族やヴァイキングの襲撃、そして先の世界大戦に至るまで破壊され続けてきたため、頑丈なローマ時代の建造物跡以外、古いものはあまり残っていないように思います。

壁にかけられた小さな案内板
案内板の内容
二層になった壁 (上の層は中世後期のもの)

しかし細かく見ていくと、先述のワインセラーだけでなく、この聖イルミネン修道院を囲んでいたであろう赤い砂岩の石壁もそのひとつで、「メロヴィング朝の壁」と呼ばれていて、西暦640年ごろに建造されたものだそうです。残念ながら現地へ行っても詳しい案内板はなく、小さなプレートが貼ってあるだけで、これ以上の情報は得られませんでした。ケルンのローマ城壁のような壮観なものでもなく、間違いなく通っただけでは見過ごしてしまうただの石壁ですので、敢えて書きますが、古代史に興味のない人は全くもってつまらないものではないかと思います。

昔の壁の出入り口 (右側は塞がれている)



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